これは平和ボケしているからなのか、本人の資質だろうか、と悩む鹿吉です。
こんばんは!
日本人が有難いことに平和ボケをして早79年になるそうにございます。
非常にこれは素晴らしいことでございます。
戦争を知らない子供たちが育つ事こそなによりの幸せだと、世界各地で起きている戦争の様子を見る度に思います。
パニック映画を観てもそうですが、なにもない日常ほど貴重で大切で美しいものはないのだと実感いたします。
本日はそんな日本人でございますが、パニック時の対処の違いが如実に出ましたね、という話をひとつ。
我が家の父は基本的には鷹揚な人にございます。
あまり慌てたり、バタバタする人ではありません。
けれども一度パニックに襲われると叫んで怒鳴ってヒステリーを起こします。
そしてそれが意外にも長く続くタイプなのでございます。
一度冷静になる、という選択肢はそこには存在しないようにございます。
逆に母はパニック時にはきちんとパニックを起こします。
けれどもすぐに冷静になると、その場の状況を的確に判断して、その後の動きを考えるタイプにございます。
一度冷静になれば、その後は不要な動きやヒステリーを起こしたりはしません。
私はどちらのタイプでもございません。
パニック時には異常なまでに冷静になります。
周囲の状況を把握し、現状どうすべきかを判断し、その上で動ける範囲を考えます。
そしてすべてが終わったと思ってから、感情を爆発させて泣くのでございます。
家族であってもこれほどまでに対処方法が違うのだな、といつも感じております。
先日の地震のとき、私と母はお店で買い物をしておりました。
はじめ、棚から物が落ちました。
落ちる前にギシリと店内に低く響く音がございまして、誰かがものを取ろうとして立てた音かと思った刹那、棚から物が落ちる音が響きました。
やはり誰かが取ろうとして商品を落としたのだ、と判断した瞬間、今度は建物だけでなく、自分まで揺れたのでございます。
地震だ!!!!
思ったときにはお店のスタッフさんが「地震です!!!危ないですからその場で身を低くしてください!!!しゃがんでください!!!!」と叫びました。
母は買い物の支払いのため、カードを機械に差し込んでいたところでございまして、眩暈でなく地震だと理解した途端、すぐにその場に座り込みました。
私も同様にスタッフさんの指示通りにその場にしゃがみ込みましたが、私の手だけは母のカードを覆うようにありました。
火事場泥棒を疑うわけではありませんが、やはり用心するに越したことはないと冷静に判断した結果、母のカードを守りつつ自分の身と母の身を守る選択肢を選んでおりました。
暫く揺れる店内。
不気味なほどに静かな空間にギシリギシリと低く響く地震の音。
うっすらと流れていたBGMが妙に違和感がないのに、通常にない緊張を孕んだ雰囲気のなか、周囲を覗う人々の視線を縫うようにしてレジにいたスタッフさんが言いました。
「はい、支払確認できました、もうカードを抜いてくださって結構です」
普通かッ!!!!!!!
え?
地震あったの、わかってるよね????
この人、揺れたの、理解してるよね?????
いや、確かにレシートとか大事だけれども…
そりゃ商品も大切だけれども……
え?
あまりにも普通すぎじゃあないですか????!!!!!
言われるままにしゃがんだままカードを抜き、やはり私と同じようにしゃがんだままの母に渡しながら、
上には上がいる
と思った私にございます~(笑)
平和ボケからの危機感のなさ、ともいえるのか?と首を傾げつつ、やはりあの胆力は並ではないと感心してしまう私は今日も元気に焼いております。
アメリカンクッキーにございます。
焼いているとこのクッキーほど香ばしい焼菓子は他にありません。
本当に甘く香ばしい匂いがいたします。
さっくりとした食感
中に入っているナッツやチョコレートなどの味わい
小麦本来の甘味
どれもが実にバランスよく、珈琲にも紅茶にも合う焼菓子でございます。
是非一度ご賞味くださいませ~
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ちなみに何かが起きたとき、脳が驚くほど冷たくなる感覚がいたします。
そして異様なほどに、まさに音がするかのように脳が働き始めます。
そのおかげで様々なことを回避してきたと感謝いたします。
けれどもその反動が凄まじく、必ずそのあとひとりで大号泣をするのでございます。
先日、こちらのブログに書きましたが、とても大切な日に父が大遅刻をしてしまう羽目になりました。このときもすぐに私の脳はリカバリー策を取るべく、実に冷静に動きました。
無事にその日を乗り切りましたが、その反動で、その夜はひとりで大号泣しました。
父に対しての怒り、母への同情、自分のなかにあったはずの感情を押し殺した反動が涙となって流れていくのでございます。
私が高校生のとき、母が病で死ぬかもしれないと言われたことがございました。
私にそれを告げる父は滂沱の涙を流して、言葉を詰まらせながら泣いておりました。
私は未曽有の恐怖に泣く以前に自分に何ができるのかを考え始めておりました。
そんな私を見て、父は怒りに肩を震わせて言い捨てたのでございます。
「泣きもしないなんて、なんて薄情な娘だ!!!」
結果、母は生き延びました。
生き延びてくれました。
そして無事に帰還した母とふたり、抱き合って泣きました。
やっと私は泣けたのでございます。
以来、私はなにかが起きるとパニックを起こすことはありませんが、その代わりすべてが終わったと思ったときにひとりで号泣する癖がつきました。
今回の地震も帰宅後、ひとりになったときに被災された方々の気持ちや不安を思って、やはりひとりで泣きました。
遠く離れた場所でさえ、あれほど揺れた地震。
現地の人は如何ほどの恐怖と絶望だろうか、と泣かないではいられませんでした。
なんでもない日常が一日も早く訪れることを心より祈念いたします。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
またいらしてください~
お待ちしております。