昔のことを振り返ってはいけませんか?
あるきっかけで、昔なじみと話しました。
そのころ、その人はまだ大学生でしたが、現在は立派な社会人になって活躍しています。
社会人になって振り返って、そのころのことや周囲の人々について、どう見ていたかとか、それが人生にどう影響を受けたことにつながるかとか話すことはとても楽しい時間でした。
「あのときはよかった」という話ではありません、私の場合は。
そのころ考えていたことややりたかったことが「世の中」に現れるまで10年、20年を要してきたけれど、その礎となることを歯軋りしながらやっていた時代。
そんな時代を知ってくれている人がいることで、いまを生きる意味を実感できるように思います。
私がやってきたことは間違っていなかった。それは時代が証明してくれた。
でも、自分しかわからないこと。と思っていたら、ちゃんと見てくれていた人もいたというわけです。
「当時大学生」だった人たちは皆立派になって、それぞれが素晴らしい仕事をしていて、ふと思い出してくれる。
これほど嬉しいことはありません。
まるで学校の先生みたい。
実は、父は公立中学の先生でした。
40代でいち早く校長になり、荒れまくっていた学校が多い時代に、落ちこぼれや不登校などの生徒が校長室に来るとかで、通勤のマイカーの後部にはぬいぐるみがたくさん並んでいました。
退職後も卒業生がお正月に毎年来てくれていたり、いまでも当時お世話になっていた写真屋さんが「先生、先生」と父の話をしてくれます。
そんな血筋なのかもしれません。
10代の終わりに大人の心得を教えてくれたNさん。20代のころにエジプト取材で苦労したときの代理店担当だったYさん。雑誌で担当したご縁のM先生。30代のころ版権管理でずっとバトルをしていたYさんなどなど、古きよき友情が細くつながり、ときにはそれを手繰り寄せることがあったり、紡ぎなおしたり。
年とともに体力も気力も落ちて、いろいろなことがめんどくさくなる一方です。
「健康寿命」と言われる年齢はどんどん伸びているとはいえ、古希目前ともなれば現役で働ける時間は限られています。
どう考えても20年先、30年先に働いているとは思えません。10年でも無理かも。
10年前に悪性リンパ腫という病気が発覚して、それが一応治ったと思われたときに、担当の先生が「これからは10年先のことを考えるのではなく、1年単位で考えることです。今年はこれをやろう。今年はこれができた。そうした考えでいけばいいのです」と言われました。
「Z世代は」と若い人たちに向けたマーケティング的なことなどに無理をして、迎合するには時間も体力もありませんし、もう未来を見ることより足元のほうが大切になりつつあります。
でも、未来は過去の積み重ねの上にある。
時代が変わり、人の行動や趣向が変わっても、私は私。
そして、私が忘れていた過去の私は、いまの私にはとても大切に思います。