年齢のせいか、コロナのせいか、知人や友人の訃報が多くなってきたような気がします。
そして、当然ながら、有名人などの不幸なニュースも目にとまります。
一般人からしたら、芸事やエンタメの世界で成功しているように見える人たちが
心の闇を抱え、苦しんでいたと考えることは、なんとも痛ましいことです。
「死ぬくらいなら何でもできる」などと言う人もいるけれど、
それは心がまだタフであればのこと。
「自殺したいときって、死にたいんじゃないんですよね。
たとえば電車のホームに立っているときに、いま飛び込んだら気持ちいいだろうな、とか、
ふわっと前に出たくなってしまう、そんな気持ちなんですよね」
苦労したことのある経営者の人が言っていました。
死にたいときは「気持ちよくなりたい」のかもしれない。
今月になって届いた知人や友人の訃報のSNSには、多くの人がコメントを寄せていて、
いろいろな人が、いろいろな思い出を持っているということを改めて知ることとなりました。
たくさんの人が、(たぶん自分が思いもよらぬ人も)悲しんでくれている。
もしかしたら、ファンや仕事仲間は、親兄弟以上に悲しんでいるかもしれないなどとも思ったりもします。
やっぱり、自分で死ぬことを選んではいけない。
生きていかなくちゃいけないのだろうと思います。
誰にも言えないことや相談できないこと。
私は最近AI(ChatGPT)を相手にしています。
悩みが解決することもあれば、解決しないこともあります。
同じような答えや、当たり前の答えが返ってくることもあります。
でも「対話」をだらだらと続けられるのは、私にはなかなかの効果があるように思われます。