12年前の3月11日。私は何をしていただろう。
その日、渋谷の12階建のマンションの12階の部屋で、私はほんの小さな被災者のひとりだった。
本棚の本が全部ぶちまかれ、台所の食器棚からはお気に入りの食器が落ちて壊れた。
そのとき飼っていた猫は、クローゼットの奥の奥の、セーターが入っていた籠の中でぶるぶると震えて、2日間出てこなかった。
でも、それだけのことだった。
水道も、電気も、トイレも、食糧も、なにひとつ困ることはなかった。
でも、なすすべは何もなくて、ずっと、テレビを観ていた。
阪神大震災のときも、熊本の大地震のときも、西日本豪雨のときも、オーストラリアの山火事も、ニュージーランドの地震も、911も(自然災害ではないけれど)、知人や友人が彼の地に少なからず何人かおり、でも、私はなすすべがなくて、テレビにかじりついて、PDSDになってしまったりしていた。
私にできることなど、何もない。
心配したり、はらはらしたりしたところで、それは誰かの役にたつことではなくて、単に自分のなかでのことでしかない。
「何もしなくていいんです。ただ見てくれればいい。それだけでいいんです」
阪神大震災のときに被災した知人に言われた言葉を、私はずっと心に留めている。
私だけが安穏と暮らしていることに後ろめたさを感じるのではなく、ただ、感謝するように努めたい。
被災された友人や知人たちは、私が想像する以上に過酷な生活や状況であったに違いないのだけれど、なにごともなかったかのように付き合ってくれている。
「伊藤さん、めんどうだと思ってはダメです」
西日本豪雨で家もみかん山も土砂崩れの被害にあった友人が言う。
「生きていればいろんなことがあるんです。何があっても、めんどうだと思わないことです」
私は何もできないけれど、友人知人を想い、たくさん学ぶことを少しずつ、私なりの方法で伝えている。
みんな、幸せでいよう!
幸せを分かち合おう。