数々の漫画雑誌の編集長を歴任された松岡博治さんが亡くなった。

かつては「手塚番」として、手塚治虫先生の仕事ぶりを間近に見て、その天才ぶりよりもむしろ奇才な行動などを、飲んだときには酒の肴に披露してくれたりもしました。

「あの手塚先生が!?」というトンデモ話の数々。「本にまとめたらいいのに」と言うと、「そんなの、大っぴらにできるか」と大笑いになったものでした。


私は、漫画家の先生の版権管理とプロデュースということで自分の会社を立ち上げたばかり。松岡さんが編集長を務めていた雑誌の連載のために香港に取材にご一緒して、ジャッキー・チェンの映画撮影現場を訪問したり、香港の漫画王に会ったり。その後の海外展開のきっかけを作ってくれたのが松岡さんでした。


手塚治虫先生を敬愛して、よくお酒を飲んでは漫画について熱く語り、作家にはいつも笑顔で叱咤激励をする方でした。


その後永らくご無沙汰していて、しばらくぶりに某所でお会いしたときにはとても痩せて、まるで萎びた干物のようになっていて、心配になり、その後も時々は思い出してはいました。


訃報が届き、ご葬儀に参列しようと準備をしているときに、タンスの引き出しからなぜか1冊の古びた手帳が出てきました。

なんと1992年の手帳です。

精力的に仕事に取り組む自分が、そこにはいました。そして、そのころ、作家とともに、コンピュータで漫画を描いて配信する、という目的のために奔走していました。

出版社やアニメ業界からのパワハラと闘ってもいました。

松岡さんはアニメ会社の女性プロデューサーを連れてきて、OAVも制作することになり、監督には川尻義昭さんが「映画のような演出」を手がけてくださって、小品ながらとてもいい作品になりました。


ジャッキー・チェンと一緒の写真は見当たらりませんでしたが、たぶんOAVを作ったころに集まった写真が出てきました。

大友克洋さんや今敏さんの姿もあります。


これから松岡さんのご葬儀に行ってきます。

胸がいっぱいで、早くも涙ぐむ朝です。