麻生自民党副総裁が「少子化の最大の原因は晩婚化だ」という発言をしたというニュース

 

私は地元のシニアの、おばあちゃんたちに、「昔はなぜ子どもがいたのか」というのを聞いてみました。

「昔は貧乏子だくさんといったくらい、貧乏でも子どもはいて、その分、お嫁さんは苦労した」

「炊飯器も洗濯機もない時代に、3人も4人も、もっと子どもを育てた人はたくさんいた。でも、子どもが病気になったりすると医者にも連れていけなかったり、大変だった」

「子どもがたくさんいて、地域での子育てをするような仕組みがあって、町内でのこども会とか婦人会とかが活発だった」

 

おばあちゃんたちはほとんどが専業主婦で、自分のうちの畑で農業をしたり、パートの仕事をしたりもしていたという人もいました。

 

「もし二十歳に戻ったら、会社に勤めて、営業とかの仕事をばんばんやってみたい」という80歳のK子さんは、コロナ禍では手作りマスクを作ってマルシェなどで販売しているけれど、「夫がいなくなって、ひとりで、自由な時間が持てるようになったから、やりたいことができるようになった」と言います。

 

いま、若い人たちは「学校に行くため」に「奨学金が負担」であったり、非正規社員の給料が安いことが問題になったりしているけれど、それはずっと以前はもっと状況はひどかったわけで、環境や生活などは戦争を経験した世代よりはずっとよくなっているはず。なのに、よくなっていないのはなぜなんだろう。

 

私個人を振り返ると、高校時代は「働く女性」がかっこよくて、「専業主婦は負け組」のようなイメージを持つようになっていました。

ひとりで海外に取材旅行に行き、船上で出産。次々と生まれる子どもの父親は全部違う、という「桐島洋子さん」はものすごく自由で、素晴らしい生き方をしているように思い、桐島さんのエッセイを読むたびに「私も桐島洋子のようになりたい」と思ったものでした。

桐島さんは戦場でルポをしたり、当時の日本では女性がしていない(あるいはしづらい)ことを実践していたアイコンだったように思います。

桐島さんのほかには、中山千夏さんや、女性の権利を主張する活動家の女性たちがエッセイなどを出版していて、田舎暮らしを窮屈に感じていた私は、ゆめゆめ専業主婦になろうとは思いもよりませんでした。
中学時代、家庭科の女性教師が嫌いで、しかも私はお裁縫やらなにやら、家庭科の授業に興味がなかったこともあったかもしれません。

言ってみれば、私のなかでのロールモデルは「自由に生きる女性」でした。

 

なので、結婚にも出産にも子育てにも関心がなく(それでも一度は結婚経験はあるものの)「主婦」にはなろうと思ったことはありませんでした。

 

20代の私は仕事先に自分を売り込み、仕事をすることに夢中で、30代は水を得た魚のように国内外で活動をしており、そのころは子どもどころか結婚(あるいは恋愛)すらも私の時間のなかでは「無駄」な時間のようでした。
好きな人と一緒にいるときでさえも、内心、仕事のことばかり考えていました。

 

しかし、年を重ねて思うことは、結婚は何歳になってもできる可能性はあるけれど、出産には年齢制限があるということ。
それを教えてくれる人が誰もいなかった(あるいは自分で気づかなかった)ということです。

女性の権利を主張する人たちは素敵な活動や仕事をしているけれど、専業主婦についてはいつも否定的で「女が家にいること」は「間違っている」という主張のように私は受け取っていました。

 

いま、田舎で、旧家のお嫁さんたち(ほぼ同世代)と話すと、旧家に嫁ぎ「家を守る」ということは「伝統」や「風習」を守ることでもあり、地域のなかで支えあってきたこともたくさんあったのだなということがうすうすとわかってきました。


そういえば、銀座のある老舗の跡取り息子さんが結婚する相手に選んだ女性は「親と同居しない」「マンションで暮らす」「嫁ぎ先の伝統には関わらない」という条件だったそうで、それまで「お嫁さん」が年末にやっていたことをリストアップした息子さんが200以上ある「旧家の古いしきたり」に呆然としつつ、ひとりで取り組むことにした、と言う話を聞いたことがあります。

 

私と同世代の「お嫁さん」たちは、自分の親の介護は嫁ぎ先の親の介護の2の次として、両方の介護をしなくてはならなくて大変だったという経験談を話してくれました。その人は専業主婦として立派に、家の格式を守る仕事をしていますが、彼女の仕事はプライスレスであり、それが重要かどうかではなく、「やるべきこと」として受け止めています。

「あそこのお嫁さんはデキがいい」とか悪いとか、いまでも田舎ではささやかれるなかで、まったく昔の家風にタッチしないお嫁さんも増えていますが、専業主婦もまだまだたくさんいて、私は安心して安定して暮らせるのであれば専業主婦でもよいといまでは思っています。

「女性は社会に出て、男性と同じように働くべきである」と決めつけてはいけないと、つくづく思うし、「自分のため」に学業や仕事を選ぶのであればよいけれど「生活のため」にやむなく仕事をしなくてはいけないというのであれば、それは改善しなくてはいけないことだと思います。

 

NHKの「プロフェッショナル」では「校正」という本づくりの裏方の仕事が紹介されていました。
その方は仕事に没頭して、仕事を大切に、プライドを持って仕事をしている。素晴らしい仕事ぶりでした。
しかし、料金は訂正する文字1文字に対して0.5円という金額であるということに愕然とした視聴者も多かったことでしょう。

「好きなことをやっているから、お金は二の次でもしかたない」

実は私も、そう考えてしまいがちです。

それは自己肯定感が低いという人もいますが、そうではないのです。

「価値をわかる人がいない」ことが問題だと思うのです。

ものごとに対して価値を認めることができることで、適正価格が生まれていくことを期待するばかりです。

 

女性、男性に限らず、ひとりひとりの生き方に「価値」がわかるリーダーや指導者がいないことが日本の問題であると思います。

なので、たいしたことはできない自分ではありますが、自分のなかの絶対価値観は持ちたい。

 

若い人たちしか見えないことがたくさんあると同時に、経験した人が見たこともたくさんあります。

 

子どもを持ちたいとか、持ちたくないとかいう前に、「好きな人と過ごす時間が大切だ」ということが大前提ですし、それが金銭で左右されることではなければいいのに、と、ちょっとばかり理想を掲げてしまいます。

 

「子どもは国の宝」「産めよ、増やせよ」と言われて生まれた子供たちが戦争の最前線に送られた時代。年配の女性たちに、いろいろな話を聞きたい。
私はもう出産や子育てには縁がない年齢になってしまいましたが、振り返ると多くの(血縁ではない)子分がいることに力づけられます。
 

晩婚だから子どもが少ない、というのはいろいろな意味でおかしい。

結婚しておなかを痛めなくては女性の役目を全うしていないというのもおかしい。
おかしいと思う政治家を選んでしまわないためには、政治にもっと関心を持たなくてはいけない。

これもまた、私は若いころはちっとも考えなかったことでした。