先日、若者の成人式に、ド派手な恰好をした大人の人が参加したとかで、格闘家の方が「気持ち悪い老害」などと発言されたというYahoo!ニュースの記事がありました。
ことの詳細はわかりませんが、若い人が目上の人を「老害」というようになったのはいつからでしょうか。
もちろん、目に余る老害ぶりを発揮する政治家なども少なくないことは認めますが、「でも、ちょっと待って。そういうあなたも、あと何十年かすると老人になるんですよ」と、私はいつも思ってしまうんです。
いや、若いころから老害をしっかりディスるくらいですから、素敵な老人になるに違いありませんが。
ところで、先日、ある方が「古本」として寄付してくださった本のなかに、1冊のエッセイ集がありました。
猫好きで有名な女性コラムニストの方が著者で、世の中のジジババについて、あれこれ批判的なコラムを書いていらっしゃって、読む人が読めば痛快かもしれませんが、初老の(?)私からすると著者の方の想像力のないことと優しさに欠如した見方に共感はまったくなく、不愉快になるばかりでした。
たとえば、ピチピチの時代遅れのTシャツを着た巨乳のおばあさん。乳首が巨峰のようにでっぱっているということが見苦しいという話。わかります。たしかに、ピチピチの服に、ノーブラはよろしくないと思います。
でも、若い人と違って、中高年になって巨乳にあうブラジャーがどこにあるか、その人はわからないのではないでしょうか。
時代遅れのTシャツも、もしかしたら、娘や息子が着ていたものやおさがりを着ているのかもしれませんし、単に「捨てるのがもったいない」というだけかもしれないし、それは本人に聞かなくてはわからないことを、あれこれ一方的に決めつけて批判する刃に、赤の他人であるはずの私は多いに傷つきました。
私も、ついつい高齢の母にイライラして、傷つけることを言い放ってしまったりして自己嫌悪に陥ってしまうことがありますが、高齢になると本人は悪気はなくても周囲からするとイラつくことをしていたり、行動がのろいことで迷惑をかけていることなどが多々あります。
私は、そのエッセイを読み進んで、どこかに救いはないだろうかと思ったのですが、結局のところ、世の中のジジババがいかに自分よりも劣った存在であるかという視点でのエッセイに終始していて、それがある意味、「若さ」なのかなとも思ったりもしました。
もちろん、そのエッセイで書かれていることの99%くらいは事実で、そのエッセイストの人は「自分が正しい」と思ったうえで「こんなのは嫌だ」「がまんできない」「許せない」というジジババをピックアップしているというのもわかります。
でも。そんなあなただって、すでにジジババに手が届いているって、気がついてないのかな。
いや、人のふりして、わかふりなおせ、です。
私こそ、もっと、ジジババにやさしくならなくちゃいけない・
そう気づく今日このごろです。