携帯電話に発信人のない番号が残っていました。

たまたま電話の電源を切っていたときに、かかってきたもので、いつもならスルーしてしまいます。

でも、昨年から、田舎でいろいろな集まりやマルシェなどをやっていて、コロナ禍で中止にもしているので、その問い合わせかなとも思い、掛け直してみました。


すると、「電話番号が残っていたので、間違えてかけてしまいました」と、お年を召した女性の声。

「失礼ですが、どちら様ですか?」とうかがうと、「渋谷にいらした伊藤さんですね?」と言われるので、「はい」と答えたところで、わかりました。

大家さんの姪の方でした。


当時、私は渋谷区神泉にあるメゾネットをオフィスに借りていました。

二世帯住宅の隣りに住む大家さんは、高齢の母娘でした。

お母さんは80代だったと思います。

矍鑠とした方で、いつも厳しいお顔をなさっていました。

娘さんは飄々とした「お嬢様)という感じの方で、いつもとてもおしゃれな方でしたが、人のと交流があまり得意ではなくて、若いころに少し勤めたもののすぐに辞めて、以来ずっとお母さんと暮らしていました。


私は店子だったわけですが、家賃を安くしていただく交渉をして、週に1度、日曜日に食事を作って刺し上げ、お話相手をさせていただいていました。


いま思うと、おふたりはお元気だったこともあり、ケアマネや地域の公的サービスは受けていらっしゃらなかったのてまはないかと思います。

私は私で、自分の会社の経営は大変でした。


大家さんたちは母も娘もエキセントリックで、ときどき、手におえなくなるようなことがありましたが、多分、少しずつ、認知症にもなっていたのかもしれません。

それでも、お母さんとは毎週であったり、ときには週に何度かお茶をしたり、私の友人たちも集まってくれてお誕生日をお祝いする会も毎年やっていました。


そのほか、プライバシーに触れることは書くわけにはいきませんが、大家さんの数奇な人生なども何度かお話しをうかがったものです。


「大家さんと僕」という漫画が話題になったときに、私は自分の経験も懐かしく思い出しましたが、まさにあのような感じで、私がお世話になった大家さんも上品な方でした。


しかし、だんだん問題行動が多くなり、お母さんも娘さんも、相互に壊れていくようになりました。

おふたりには近い親族はいらっしゃらないとかで、当時近隣に住んでいる姪の方がなにかのご縁でお会いする機会があり、困ったことが起きると連絡をしたりしたことがあります。


その方からの電話でした。


長い電話で、昔お世話になった大家さん(お母さん)が100歳を超えてお亡くなりになったことを知りました。

娘さんと同じ施設に入ったそうで、娘さんはまだお元気のようですが、コロナ禍で面会はできないそうです。


「あの頃は伊藤さんにはとてもよくしていただいたと思います」と言われました。

当時、私の祖母が90代で元気でしたが、大家さんはいつも「おばあさまはお元気ですか?」と心配してくださるとともに、ご自身が高齢になっていく不安を吐露されていました。


大家さんが可愛がっていた室内犬が認知症となり、いよいよ面倒をみることができなくなったと、娘さんが獣医師さんを呼んで安楽死をさせたときには、駆け込んだきてさめざめと1時間以上も泣いていたことも忘れられません。


春になると家の前に大きな杏の木が花をつけましたが、大家さんと娘さんをお花見ができるホテルレストランにお連れしたり、千鳥ヶ淵をお花見ドライブしたこともありました。


そんなこと、あんなことを、姪の方と話しました。


「ところで、●●子さん(姪の方のお名前)はおいくつになられましたか?」とうかがって、自分の年齢を棚にあげて、「ああ、もう、そんなお年なんですね!」と感動めいたものを感じました。


大家さんとの暮らしは、いいことばかりではなかったけれど、いま思うと、もっとできることがあったのではなかったかと思わずにはいられません。

大家さんだから、ではなくて、お隣りのご高齢の方として、できたことがあったのではないかと、悔やむことが少なからずあります。


いま、田舎で、大家さんと同じような高齢よ母と暮らすようになり、高齢者のめんどくささや苛立ちなど、イライラすることばかりですが、だからこそ、高齢者ケアを包括的に考えていくことは、明日の自分のためでもあると思います。


「最後にご連絡してから、どのくらいたちますか?」「10年以上になるかもしれません」

「もしよかったら、たまに、連絡をとりあいませんか」「コロナが落ち着いたら、施設に行くつもりなので、よかったらお誘いしますね」


そんな会話をしました。


若いころは、日々暮らすこと、自分が必死であることしか考えていなかったように思いますが、年をとることで当時を振り返ることを、神様が仕掛けてくるのでしょう。

落ち葉が長い時間をかけて堆肥となり土地の栄養となるように、あるいは、地に落ちた果物の種がたまたま芽を出して果実をつけるまで10年以上の月日がかかるというように、私の小さな行いも10年かけて芽吹くものがあるのだと考えます。