弘法大師様のお話です。ずっと前にアップする予定でしたが、
どんどん後ろにずれて、やっとです。
私は、幼少期から母の影響で弘法大使様をとても頼って生きてきました。
すごく、怖い思いをした時、お腹が痛くて苦しい時など瞬間的に
「お大師さーん。南無大師遍照金剛×3」と唱えてしまうのです。
そうそう、金縛りの時は必ずでした。
般若心経も覚えてますが、非常時は、なぜか同じところで間違えてぐるぐるするので使ってません。
でも、このご真言を唱えたら必ず助けに行くと弘法大師様は言われたそうなので、それを硬く信じていました。
そして、お大師さんが来てくれると思うと、強くいられました。
今は、いろんな神社仏閣をまわったので、覚えたご真言も増えました。
一番メインのガイド様である、無敵の毘沙門天様のご真言に切り替えようとは思っていますが、やっぱりとっさに出るのはお大師さんだろうと思います
毘沙門天様ごめんなさいm(__)m
中学3年生の頃です。
叔母(父の姉)の内縁の夫が癌になりました。
三重県に住んでいたので、「三重県のおっちゃん」と呼んでいました。
身内の恥になりますが、おっちゃんは家族がありながら、叔母と暮らし始めました。
お子さんもいる家庭を捨ててきたようです。
叔母は、小柄で顔は松本伊代ちゃんのようで魅力的でした。でも、妻子ある家庭から奪っておきながら、料理などはおろそかだったし、おっちゃんは後悔しているだろうなと子供ながらに思っていました。(小学生の時から、マセガキでした)
でも、その叔母を大事にはしてくれていました。
叔母は幼少期から、そのへんの誰にも負けないような過酷な人生を送ってきた人なので、道徳心にはかけていましたが、本人だけのせいではないと思い、気の毒だとも思っていました。
(不倫を肯定はしていません!ダメです)
そのおっちゃんが癌になって入院しました。だいぶ末期だったようで、母と私は何度か鈴鹿市までお見舞いに行きました。
若い頃は、ワイルドで無口だけど優しい人でした。もともと痩せていましたが、久しぶりに会った時は、骨しかないようでした。
末期癌になり、痛みや不安、後悔など、色々な思いがあったようで、中学生の私と2人になった時、そのようなことをポツリと言っていました。
母は今でいう毒親ではありましたが、人を助けてあげたい気持ちは強いようで病院へ行くと必死に般若心経やご真言を唱えて、お加持(おかじ)をしてあげていました。
お加持とは弘法大師様が1200年前に残された療法で、体に手をあて癒すことです。
このお加持は、なかなかの効果で、母はいろんな知人にしてあげていました。
私が靈氣ヒーリングを学ぼうと思ったのも、これにより、手のパワーを信じられたからだと思います。
おっちゃんには、弘法大使様のお守りを渡したので、それを両手で握っていました。母にさすられている間は、とても楽なようで、ほんとに感謝しているようでした。
お加持中、私もおっちゃんの足をさすっていました。私に本音をもらしていたので、少しでも、子供さんの代わりをしてあげようと思ったからです。
毎回、目に涙を浮かべて心底喜んでくれていました。死を目前にして、すがれるものがあるのは、ほんとに救いなようで、お守りを握って、ご真言を唱えていました。
明日に続きます