10日も前の話になりますが、高石友也さんが膵がんにより82才でお亡くなりになられましたね・・とても残念です。
一番彼の曲で有名なのは何と言っても1968年に発表された「受験生ブルース」ですね。
高石友也さんは北海道出身の道産子、空知地区の雨竜郡雨竜町の出身で(近隣都市に深川市や滝川市)、地元では有名進学校の滝川高校を卒業後、立教大学文学部へと進まれました。大学在学中の1966年に「かごの鳥ブルース」でレコードデビューしたそうですが、正直言って、私は当時はこの曲を聴いた記憶がありません。(学費や生活費捻出のために土木作業員やラーメン屋、家庭教師等々のアルバイトに明け暮れたせいもあって卒業まで6年間かかったとか)
私自身は、ラジオから流れてくる「受験生ブルース」からでありましてヒットしました。前年に出された「想い出の赤いヤッケ」は少し後になってから聴いた記憶があります。彼は反体制・反戦フォークの草分けとして、関西を拠点として活躍されておりました。
歌詞に出てくる三角関数の♪サイン、コサイン何になる~~♪の意味はその時は分かりませんでした・・まだ学校で習っていなかったので、当時高校生の姉に尋ねたものの何のことやらチンプンカンプンでしたね。「坊や大きくならないで」(ヒットしたマイケルズのバージョンとは少し違う)とか「死んだ男の残したものは」あたりもラジオの深夜放送番組で聴いていました。高石友也とザ・ナターシャーセブンとして活動を再開した1971年に、札幌駅前に当時あったデパート五番館(その後、五番館西武になり現在は空き地)の屋上でミニコンサートが開催され、しっかりと観させて頂きました。新人ゲストが女性の黒木真理(まこと)さんで、「宗谷岬」(ダカーポや千葉紘子で有名になりましたが、実は彼女が先です・・売れなかったけど・・)を歌唱しておりました。男のような低音でビックリ~~。後、何故か桂歌丸さんがいました(エレベーターの中で偶然一緒でした)・・あ、話が逸れちゃいましたね。
その後、いつのまにやら高石友也さんから平仮名のともやさんに変わっていますね。彼は、市民ランナーとしても有名でしたね~~35才になってからハワイのホノルルマラソンにチャレンジ、47回?連続で出場し、トライアスロン大会にも出場(一度優勝しています)、アメリカ大陸4700キロを64日間かけて横断したりもしております。1994年からは野生生物の保護を訴える「ワイルドラン」で道内を走っております。北海道の日本海側にある留萌からフィニッシュ地点の石狩市まで駆け抜けた雄姿を終点の石狩市役所まで行き拝見させてもらいました・・ちなみにフルマラソンの自己最高記録は2時間48分とか・・一市民ランナーとしては凄くないですか?
もちろん、色んな場所でのコンサート活動も並行してされておりました。
彼は鉄人だった!アクティブでアグレッシブでしたね。
あ、そうそう、深川市に1992年4月に設立された私立のクラーク記念国際高等学校の校歌の作詞作曲されたのは高石ともやさんです。他校の校歌も依頼されて作ったようです。
この学校の初代校長はプロスキーヤーで登山家でもある三浦雄一郎さんです・・現在は名誉校長。母校の北海道大学のW・S・クラーク博士の名前を頂戴しております。通信制ですが、この高校は野球ではあっという間に北北海道大会の常連校になり、創部3年目で全国大会甲子園球場に出場するなど道内では強豪校の一つに数えられております。(監督は、昔、強豪、駒大岩見沢高校野球部の熱血漢監督だった佐々木啓司さんですから有望選手も集まるのでしょうね)
この一週間、高石友也さんのYouTube動画やレコードを聴いたりしておりますがやっぱり寂しい・・・。庶民的で笑顔がとっても印象的な方でありました。お悔やみ申し上げるのみです。
高石友也さんの音源や動画が数々残されております。
興味のある方はぜひ一度そちらを観られてはいかがでしょうか?