目方 誠=美樹克彦  | 芝ちゃんのブログ

芝ちゃんのブログ

青少年時代の歌番組等の思い出、時に現在の私事エトセトラ

  目方 誠さんと言っても誰の事か分からない人が大半でしょうね。

  私は、名前だけは知っておりました。あくまでも名前だけね・・・。

  後の美樹克彦さんのことです。

  昭和23年10月22日生まれですが、6才の頃から劇団に入団しており、子役として70本近い映画に出演されていたらしい。

 TV映画「三匹の侍」にも出演したようですね。中学2年の時にビクターから本名の目方誠名義で「トランジスターシスター」でレコードデビューされています。その後、高校2年の時に美樹克彦に改名しクラウンレコードから「俺の涙は俺がふく」(1965年3月)で再デビューしております。

 兄が、埼玉県の大学を出てから北海道に戻らずそのまま東京都内に就職していた頃、新宿ラセーヌやACBなどのジャズ喫茶で、目方 誠、美樹克彦に改名してからも数回観たことがあり、まだ売れていない頃だったけど歌は上手かったと言っておりました。 私が、美樹克彦さんをテレビで観たのは、歌番組での「回転禁止の青春さ」が最初でした。(1966年1月1日発売)

 

 

 

 

     

 青春エレキ歌謡曲で小柄だけどカッコ良かったし、確かに上手でしたね。この人の爽やかな声質は好きでしたね~~。

 その後もいろんな歌を歌っておりましたが、一番売れたのは、1967年3月1日発売の「花はおそかった」でしょう。セリフの時には必ず涙ぐんでいたのて実体験?と思ったものですが、インパクトが強かったがこの方は元々俳優さんですから・・結果は大成功でしたね、念願の紅白歌合戦に初出場しました。GSが流行りだしてきた頃でした。後に堤大二郎がカバーしたけど売れなかったね。大ヒット曲のカバーはいろんな面で難しいかもね~~この頃の若者には新鮮に映ると考えたかもしれないけどね。

           

 

 

                

 

 1968年11月に発売した「海は青かった」は「花はおそかった」の2番センジともいえる曲でやはりセリフ入りで、結構好きだったけど大ヒットはしませんでしたね・・GSブームに陰りが見え始めてきた頃でした。技術的にプロかアマチュアかよくわからないレベルのバンドが増えすぎてしまったからかもしれない。

  残念ながらブームはいずれ廃れるのは世の常。

 

 

 

 

 

            

 

  このあたりまでは彼の人気やプロマイドの売れ行きは好調だったが、「貴方がえらんだ僕だから」あたりからかな・・あまり売れなくなってきたのは。その後、シンガーソングライターに加えて音楽プロデューサーとしても活動するようになり、1984年1月に彼が作詞作曲して小林幸子が歌唱した「もしかして」がオリコン最高11位、小林幸子さんは紅白歌合戦でも歌唱しておりました。その年の夏、1984年7月には「もしかしてPARTⅡ」作詞を榊みちこに書き換えてもらって、デュエット盤として小林幸子、美樹克彦で発売、またもオリコン最高11位を獲得しました。カラオケ定番曲として知られるようになっていきましたね。

 小林幸子さんも美樹克彦さんも十分な歌唱力があり良いお手本でしたね・・。

 美樹克彦さんにはこれからもいろんな分野で活躍していっていただきたいですね。