冬将軍が到来!そして”わい”と”おい” | 芝ちゃんのブログ

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青少年時代の歌番組等の思い出、時に現在の私事エトセトラ

   本日、冬将軍がついに平地の札幌にも到来しました。 明日から師走だもんな・・仕方なかとよ~ショボーン

 

         

 

 一ヶ月ぶりのブログになってしまいました。

 

 足の親指の傷とくるぶし下の傷が悪化して潰瘍化し、11月からの治療(6か所も打った麻酔注射が超激痛ゲッソリゲッソリ)したもののその後の経過が芳しくなく痛み止めの薬で多少和らげているものの、時間が経つと痛みが増しいつになったら楽になるのか全然先が見えてこない・・そんな日々です。

   そんな中、12日の夕方、突然に鹿児島県の友達から携帯に電話が入った。年賀状のやりとりこそしているものの声を聞くのは40年ぶりだった。今、札幌に来ており某ホテルにチェクインしたばかり、明日は転勤で札幌にいる娘家族に会う予定とのこと(コロナ禍だけど・・)で、時間があったら久しぶりに”わい”に会いたいとのこと。ちなみに”わい”とは相手を差し、”おい”は自分自身のことを言います。

彼とは、東京時代に非常に仲が良かったのです。自分も会いたいけど、足が・・、アルコールはドクターストップがかかっているし・・、だけどはるばる鹿児島から来ているのにこの機会を逃したらもう会えないかもしれないと思い、タクシーを飛ばして会いに行きました。お互いに年は取ったけど羨ましいことにわいは50才代に見えたポーン。上背は私と同様に低いが、恰幅は良い。イメージとして西郷隆盛を小柄にした感じで80キロ以上は軽くありそう。札幌駅近くの居酒屋に誘った。相変わらず素面の時は口数は少ない男だが、アルコールが入ると口数も次第に多くなり鹿児島弁まるだしでよく理解できない部分もあったが嬉しかった。残念ながら、おいは悲しいかな烏龍茶であり・・ショボーン。私は、自分自身のことは”自分”とか”僕”とか”私”とか言ってきており家庭環境の事もあってあまり”俺”は使ったことがない。家では”わし”である。彼と知り合ってから自分の事を”おい”と無意識に言うことは時々ある。

 

 実は、彼との初対面の会話は良くなかった。3、4人で飲んでいた会話の中で、”わいはアイヌか?でなければ本州から流れて行ったんだろう?”といった物の言い方にカチンときて若いから口喧嘩になった。”だからどうした?アイヌや北海道を愚弄している。オヤジは東北出身で20才で北海道にやってきた。母方は四国だ。元薩摩藩はそんなに偉いんか!お互いにここでは田舎者に変わりはないだろう”と言った。

だけど最後は何でも言い合える一番の友達になった。彼は芋焼酎が大好きな男、自分は芋はちょっと苦手で麦焼酎か日本酒だったっけ。

 

 今は、還暦を軽くクリアしてただのジジイになったけど学生時代の話や最近のことに花が咲いた。楽しい3時間だった。

 そういえば彼は私より1年遅れて卒業したっけ・・バイトに明け暮れていたからなぁ。

 彼は九州男児だけど情にもろく泣いて喜んでいた。ついこっちにも伝染した・・歳を取ると涙腺が弱くなるっちゃ・・。もう会えないかもしれない友なので会って本当に良かった。最後は強く握手して別れた。

 

 ところで、私は暑いところは苦手なので鹿児島県には一度も行ったことがない。鹿児島県の事はよく知らない。おはら節の♪花は霧島 煙草は国分 燃えてあがるはオハラハ桜島 ハ ヨイヨイ ヨイヤサ♪と一番だけは何故か覚えている。

 あと、何と言っても西郷隆盛(西郷どん)、西南の役、シラス台地、サツマイモ、芋焼酎、水前寺公園、桜島、霧島、佐多岬、温泉で有名な指宿、種子島、屋久島・・こんな程度の知識である。有名人では水前寺清子や西郷輝彦、定岡正二・・。だけど彼は北海道の事はあまり知らないから似た者同士じゃろ。西郷隆盛のイメージの”おいどん”とか”ごわす”とか今でも使うのだろうか?彼は使っていなかったから一部のご長老の方だけかもしれないと思ったりしています。

わい(彼)には、ブログのことを伝えたのでまぁまぁ良かったら”いいね!”をもらえたらとても嬉しい限りです!ニコニコ

 

※ 後日、わい(彼)から読んだというラインがきた。

  「オイも生意気だったからなぁ・・しかよく覚えちょるね。ワイも一癖あったぞ」と書かれていた。お互い、田舎者だからなぁ。

 そういえば、授業の出欠確認の際には「代返」も何度かしてやったような気がする。いけないことだけどね。だから留年するんだよ。まぁ、彼は一人っ子で裕福な家庭だったようだったから別にうるさくなかったのだろうけどね。