「プラチナ・ゴールデンショー」という音楽系バラエティ番組が1966年の秋頃から日本テレビ系列で日曜夜にスタートし、1971年春にいったん終了、その後、1973年秋に復活して翌年1974年春まで放送された番組でした。もちろんプラチナ万年筆がスポンサーでございます。
スタート当初は、「プラチナアワー明星ゴールデンショー」というタイトルだったようです。記憶ないけど。
私が夢中になって観ていた時期は、1967年後半から1971年でいわゆる第1期の途中からです。その頃の放送時間帯は18時から18時30分で、我が家の場合は、この後に「シャボン玉ホリデー」を観て、「ザ・ヒットパレード」を観るというパターンが確立しておりました。(すべて30分番組で最初の頃は白黒でした) あ、そうだ!「ゴールデンショー」の前にNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の15分番組を観ていました。(「ひょっこりひょうたん島」の前は「チロリン村とくるみの木」という人形劇だった覚えがかすかにある)。それからブーフーウーという三匹の子豚が出てくる着ぐるみによる人形劇もNHKで観た覚えもある。
今思うと、一匹はドラエもんで有名な大山のぶ代さんの声だったよなぁ。
その人形劇のドン・ガバチョの声を担当されていた藤村有弘さんが、プラチナゴールデンショーの司会をされていました。私が夢中になっていた時期はGS(グループサウンズ)ブームと重なっております。
アシスタント的な役割として榊原ルミだったり由美かおるだったり・・・・でした。
番組内の人気者は何といってもやっぱり、フォーリーブスでしょう。オープニングでは彼らによる「マイ・プラチナ」でスタートしていたように思います。バック演奏のハイソサエティや永田英二(歌唱力があり、青山孝加入前はフォーリーブスの一員、ソロデビュー「あこがれ」をこの番組で歌いヒット、「恋をあげよう」も名曲だった)、バニーズは準レギュラーだったのかな?よく出演していました。フォーリーブスの初期の作品にはGS色があった。(一時期はハイソサエティがいたこともあって1968年はGSと同等の扱い。「オリビアの調べ」と「壁のむこうに」は良かったなぁ)
テンプターズやワイルドワンズといったGSも出演、フォーリーブスが多忙で降板する頃にハイ・スパンキーというスクールメイツ出身の男性4人組が出るようになりました。第2期にはジャニーズジュニアとか出ていたけど後のジャニーズジュニアスペシャルとかメッツなのかな?あまり記憶ないけど・・。郷ひろみは準司会ではなかったかな・・。
さて、ジャケット写真の「マイ・プラチナ」はハプニングスフォーによるソノシート作品であります。番組内でハプニングスフォーが出演したことあるのかな・・記憶がない。写真でわかるようにメンバーのクニ河内さんの作品ではありません。経緯が良く分からないです・・・だけど、さすがハプニングスフォーというかヴォーカルのトメ北川さん、上手くまとめています。フォーリーブスの音源は存在しないと思う・・聴きたいけどね。
♪ 僕の日記 プラチナ 愛の手紙 プラチナ
誰にも言えない言葉 秘密に書いてみた
ボクだけの友達だよ マイ・プラチナ
古い日記 プラチナ 君の手紙 プラチナ
誰にも言えない心 書いてしまったんだよ
なつかしい友達だよ マイ・プラチナ ♪
追記 そういえば、「てなもんや三度笠」も毎週日曜日18時から18時30分まで観ていたはず、はて??ということで調べてみたところ、1968年3月31日にこの番組が終了したとのことなので、1967年後半から観ていたと書いた「プラチナ・ゴールデンショー」は私の勘違いで1968年4月から観るようになったことになる。
ただ、その前でも父親の帰宅が遅い時には、チャンスとばかりにチャンネルを変えて「ゴールデンショー」も観たことがあるのは確かであります。子供にとっては、ゴールデンショーの方が楽しいですから。
「てなもんや三度笠」といえば”あたりまえだのクラッカー!”(ちなみに前田製菓提供)はみんな言っていたっけ。藤田まことや白木みのるさんらは強烈なインパクトがありましたなぁ。
※ ザ・タイガースが出演して2曲歌唱している超貴重なシーンが現在ユーチューブにアップされているので、興味ある方は一度観ることをお勧めします。この映像めちゃくちゃ懐かしいです。確かにこのユニフォームは覚えていますぞ~~ 1968年1月放映分ではなかろうか?
これこれ、 「てなもんや三度笠」にザ・タイガース登場!!
本当は「君だけに愛を」も歌っていたんだけどなぁ・・・。