2014年、県境ライン全走破計画 stage12(奥物部から祖谷越え)-3 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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10年前となってしまった2014年の県境走破ツーリングは、県東部の奥座敷とも言われるエリアを走破して行きます。

秘境と言われる祖谷を取り囲む峠群と山並み、そして四国第2位の高峰である剣山の懐を縫うように峠越えのルートが続いています。

かつての西熊別府林道を走り切って、いよいよ徳島県祖谷地方へと越える峠を目指して、道を折れて行きます。

 

■走行日2014年7~8月

 

西熊別府林道を下りきって、久保と言う集落から五王堂と言う地区まで降りてきます。

 

 

上韮生側沿いの五王堂安丸という地区には最奥の郵便局があり、かつての国鉄バス停留所があったようです。

 

 

上韮生川は大栃の深い谷間を流れています。

その山肌には集落が点々とあります。

徳島県の祖谷地区と隣り合わせの土地であるだけに旧物部村は地形も良く似通っていて、源平合戦の時代に平家の一行が安徳帝の部隊を守護するために源氏をかく乱しながら、隠れ住んだと言われる岩穴があったり、平維盛(これもり)の墓があったり、安徳天皇と平教盛(のりもり)が祀られる韮生祇神社があったりと、平家の伝説が多い地でもあります。

 

 

西熊の道の分岐から県道49号線を笹川沿いに北上して、秘境・徳島県の東祖谷山へ抜ける笹谷祖谷山林道を目指します。
よさこい節で名高い「純信・お馬」が相携えて落ち延びたといわれるルートで、2人が山越して阿波に逃れたのは安政2年のことです。

途中の「笹」と言う集落には以前、土日のみ営業していた“笹温泉”がありましたが、残念ながら廃業になっていました。
高知県では数少ない秘境温泉だっただけに惜しいものです。

 

 

笹川渓谷を見ながら遡ると、笹川を跨ぐ“一の瀬橋”を渡ります。
ここから一気に高度を上げて行くようになります。

笹川の谷を行く。

まさに笹谷林道への上り道です。

 

 

笹の最奥の集落には、周辺地への到着距離の表示板がありましたが、ここから豊永駅や大歩危等の表示を見ると、この距離では険しい未舗装林道経由のようですが、下の国道を大きく迂回して行くよりも早いのでしょうね。

そう考えると、どこへ行くにも険しい山道を通らないと行けないほどの奥深い地なんだなぁ~・・・・と思いながら、この道がかつて、各集落や土地への主要道であったことも実感し、今更ながら感慨深い気持ちになりました。

 

 

県境の峠を目指して走ります。

道沿いには紫陽花が咲き誇っていました。

 

 

県境峠の登りは、タイトなコーナーが連続します。

コーナーを曲がって高度を上げて行くと、県境に連なる山並が見えてきます。
そして、それまで、杉やヒノキ等の植林が多かった山肌は、高山系の木々や植物に変わってきます。

 

 

この九十九折れとなって来る辺りには笹普賢堂と言う安徳天皇陵の鬼門を守っている神社があります。

ここからがかつての笹谷祖谷山林道と言う名の林道が始まっていました。

そして、まだ未舗装の林道だったのです。

まだ未舗装時代の様子で、当時のものを交えてアップして行きます。

 

 

この時は12月に走った時の事で、標高が高くなるに従って雪が残っていて、道にはアイスバーンも残っていました。

 

 

アイスバーン化した轍を悪戦苦闘しながら上がって行きます。

県道49号線は林道となった区間までですが、徳島県側には続きは無いようです。

 

 

2014年に戻ると道は舗装されています。

九十九折れが終わると笹っぽい背の低い木々が目立ち、勾配が少し緩くなり、稜線へ出て来たような雰囲気を感じ始めると峠が近くなります。

この雰囲気は西隣の京柱峠に似ています。

 

 

覆っていた木々が無くなり、視界が少し開けると、徳島県・高知県境の“矢筈峠”に到着します。

標高1228mの祖谷を囲む峠の1つとなっています。

 

 

矢筈峠は別名“アリラン峠”と言います。アリランと言えば哀切な旋律で知られる朝鮮の古謡が思い浮かびます。

もしか強制労働とつい想像してしまいますが、そうではなくて、戦後、道路工事に従事していた朝鮮出身者たちが峠からの眺望が故国に似ていたところから、この峠名がついたと言われています。

 

 

徳島県側から高知方面を見た峠の様子です。

峠には土佐矢筈山(1606m)への登山口がありますが、県境を表示するカントリーサインはありません。

 

 

まだ未舗装だった頃の様子です。

未舗装の時と舗装されてからでは雰囲気が全く異なります。

稜線と言う世界が広がっていて、県境の峠と言うオーラが凄かった印象があります。

舗装されて初めて訪れた時には峠に気が付かなかったくらいです。

 

 

切通の峠と言う荒々しさが残り、祖谷の秘境への入り口という感じがしました。

今は徳島県側は三好市となっていますが、当時は東祖谷山村で高知県側も当時は旧物部村笹と言う地区でした。

峠名は登山口のある土佐矢筈山から来ていると思われます。

 

 

矢筈峠を越して徳島の祖谷側に下って行くと、ありがたいことに徳島側の祖谷山林道はまだ未舗装のままでした。

そして、矢筈峠からは物部川水系から吉野川水系になります。

 

 

正式な林道名は、矢筈峠を境にして高知県側が笹谷林道、徳島県側が祖谷山林道となっています。
やはり林道は未舗装の状態が趣や自然の神秘性が残っていて、山道を舗装してしまうとツーリングライダーが来なくなって、温泉に訪れる人もいなくなります。
林道を舗装すると良い事は無いのです。

 

 

東の矢筈山と西の綱附森(1643m)に挟まれた県境の稜線上を通っているので眺めは抜群です。
高知県側の幾重にも重なり深い谷を作る山々を見ながら走ります。

 

 

県境から徳島側に下る区間はガレた区間があって、以前に知人が転倒した事があります。

それに急坂になっていますので、要注意です。

 

 

その転倒してその後立て直した時の様子です。

この頃は、ここの区間はかなり凸凹があり、またアイスバーンもあったりで険しかった印象が残っています。

 

 

やがて、祖谷山林道と笹谷20支線林道から京柱林道へ続く林道との分岐点へとやってきます。

遠くには秘境祖谷を囲む天狗塚から三嶺へと続く稜線が連なっています。