2014年、県境ライン全走破計画 stage 6-5 (国道494号線) | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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仁淀川水系を行く県境ルートの走破計画は、高知県須崎市と愛媛県松山市を繋ぐ国道494号線で、愛媛県の旧面河村までやって来ました。

今は久万高原町になっていますが、494号沿いにはいくつかの未舗装林道が分岐しています。

ついつい目移りしてしまいますが、時間の関係で今回はスルーして松山市を目指します。

 

■走行日2014年7月~8月

 

県境の前後あたりでは酷道の様相だった494号線も仕七川と言う集落辺りからは2車線の快走道となっていましたが、面河ダムの横を通り過ぎたあたりから、さらに本格的な峠道へとなって行きます。

 

 

494号線の黒森峠を越えるルートは、かつては松山と面河を結ぶ最短の峠道として開設されましたが、あまりにも険しい山岳ルートなので、大きく迂回することになっても比較的快適に越えられる三坂峠が開通すると三坂峠の方を利用する車が昔から多かったようです。

しかし、愛媛県を代表するような景勝地へはこの494号のルートで訪れるのがふさわしいと個人的に思うのです。

 

 

面河川支流の割石川に建設された面河ダムを過ぎると分水嶺に近くなり、分水嶺を源流とする渓流があちこちで見られます。

これが真夏の暑さの中でのツーリングでは最高の癒しとなります。

 

 

足元には白ユリも咲いていました。

カントリーロードをツーリングしていると、ユリ類の花によく遭遇します。

 

 

仁淀川の支流の支流である、渓流の「梅ヶ市川」をしばし見ってしまいます。

ボーっと渓流を見つめる、それだけでも疲れがとれる気分です。

渓流沿いは涼しくもあるのです。

 

 

この辺りは西日本最高峰の石鎚山を中心に非常に山深い地域で、これから向かう黒森峠は石鎚山から西にある、日本最大の断層である“中央構造線”を跨ぐ峠となっています。

 

 

クネクネと酷道の典型的な峠道を上り詰めると、「黒森峠(くろもりとうげ)」に到達します。
標高は985mで、古くから石鎚山への登山道や松山方面からの物資が運ばれる瀬戸内からの主要道として利用されていました。

昭和31年に、今の自動車道となり伊予鉄バスなども運行していたそうです。今はバスは運行していません。

 

 

また、この峠は久万高原町(旧面河村)と東温市(旧川内町)との境となっていて、瀬戸内海と太平洋と分ける分水嶺峠ともなっています。

北の瀬戸内側は松山市を流れる重信川となり、南は面河川から仁淀川へと流れて太平洋へと行きます。

 

 

峠からの下りも狭くコーナーの多い峠道となって、歴史を感じさせる壁面の前を通って行きます。

 

 

黒森峠を越えて東温市(旧川内町)へと下って行きますが、中央構造線の北側はズドンと落ち込んでいて、急斜面の険しい地形のなか、急激に下って行きます。

途中からは松山平野が見渡せる区間も出てくるほどの切り立った急斜面となっています。

 

 

その中央構造線ですが、東を関東平野から始まり、諏訪湖から南アルプスへと通り太平洋側の渥美半島へ行き、紀伊半島の上部から淡路島、そして四国の阿讃山脈へと行き、法皇山脈、赤石山脈、石鎚山脈と続き、佐田岬半島を経て九州まで続いているという最大の断層なのです。
佐田岬半島は全長50キロと日本一長い半島でもあり、少しずつ延びているとのことで、あと20~30万年経つと、九州にくっついてしまうと言われています。

 

 

瀬戸内海へ流れる重信川の支流である表川が谷を流れ、大屋敷という地区辺りまで険しいカーブの多い道が続きます。

この道を観光シーズンに数台の車が連なると、ひこずられてなかなか時間がかかります。

そんな狭い道にさらに狭い旧道が残っていました。

 

 

酷道状態の下り坂を下りきると穏やかな山村の集落を通るようになり、険しかった山岳道路も2車線の快速道路となります。

酷道状態はここまでとなり、これから交通量の多い市街地へと舞台は移ります。

設置された494号のおにぎりを見るのはこれが最後かもしれません。

 

 

国道11号線と合流して、そこから起点地の松山市内へと向かいます。

ここからは交通量も多くなって信号で止まるたびに暑さで参ります。

山道の区間はとても気持ち良く走れますが、真夏の市街地走行はなかなか進まず、グロッキー気味になります。

 

 

そんなサウナ地獄のような市街地を走り、ついに起点地である松山市役所前に到達しました。
しかし、国道56号や33号線の終点地などの碑はあるようですが、国道494号線の起点地を示すような物はどこにもありませんでした。
終点地の須崎側にも何もありませんでしたので、ちょっと気分の盛り上がりに欠けますが、まあ走りきったことには間違いありませんので良し、とします。

 

 

市役所の手前のNTT四国前には旧松山中学校跡の碑があります。

夏目漱石が英語の教師として教壇に立った学校跡で漱石の句が刻まれています。
正岡子規や秋山兄弟が学んだ学校でもあります。

 

 

そんな松山市役所前は、目の前を伊予鉄の路面電車が走っていて、その向こうには松山のシンボルでもある松山城も見ることが出来ます。

 

 

オレンジ色の路面電車を見ると、松山へ来た実感が湧いてきます。

それにしても、真夏の市街地は暑くて、スポーツドリンクを飲みながら休息します。

 

 

こうして休息がてら起点地で松山の歴史を堪能していると、路面電車の「坊ちゃん列車」も現れました。

まるで国道494号走破を祝ってくれるかのように、警笛を鳴らしてくれました。
そんな松山市役所前で20分ほど休憩した後、さあ、今から高知県香南市まで引き返します。

時間は午後3時過ぎです。