2014年、県境ライン全走破計画 stage 4(四国カルストエリア)-1 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

柴犬と小規模農家の奮戦記!

ロンリーライダーの農業と趣味の日常です

stage4は高知県西部から中央部へと舞台は変わって行き、いよいよ四万十水系最後のエリアで、四万十川とその支流たちの源流域となります。
峠も多く、多くの幕末の脱藩志士たちを生んだ地域でもあり、彼らの足跡に沿って行く区間もあります。

 

 

最初に越える“布施ヶ坂”は四万十水系と須崎湾へと流れる“新荘(しんじょう)川”とを分ける峠になります。
須崎市から国道197号を梼原方面へと走ると、茶畑の間を抜けて布施ヶ坂へ上るクネクネ道となりますが、この区間は旧道となっていて県道378号となっています。

 

 

さすがに、国道番号を示すおにぎりは全て撤去されていましたが、集落への案内標識には国道時代のおにぎり表示が残っていました。

このUターン表示が難所の布施ヶ坂への道であることを表しています。

 

 

以前には無かった“龍馬脱藩の道”の表示。

最近は脱藩の道を町の文化財としてPRしているようです。

 

 

このルートは幕末の志士、坂本龍馬さんが脱藩したルートとして近年整備されてきました。

今は布施ヶ坂バイパスという新道などで、あっという間に快走して通り過ぎる国道197号ですが、かつてはこのような狭いカーブの多い酷道で「いくな国道」とも言われた国道です。

その当時は梼原まではえらく時間がかかっていました。

 

 

旧道にある布施ヶ坂から須崎方面の景色が見渡せます。

布施ヶ坂は標高456mで、東の葉山側から見ると、屏風のようにそそり立っている片坂で、峠より以西への勤務を命じられた人がその険しさに仕事を辞することもあったことで「辞職峠」とも言われます。

 

 

旧東津野村に入り中心地まで行くと、当地出身の幕末の志士、「吉村寅太郎」さんの銅像に挨拶に行きます。

 

 

寅太郎さんは武市半平太氏の結成した「土佐勤皇党」の一員で、土佐を脱藩した後、攘夷親征(天皇の攘夷行為)のため天誅組を組織しますが幕府軍に押さえ込まれ、奈良県の東吉野で戦死しました。
そんな、命がけで県境を越えた諸先輩に県境ツーリングの安全を祈願して行くのです。
龍馬さんに負けず劣らずの風雲児の寅太郎さんです。

 

 

寅太郎さんの足元には、北川川が流れています。

すぐ東側には四万十川が流れていますが、この北川川は梼原川の支流で、国道439号に沿って四万十川に流れて行きます。

 

 

東津野の集落から進んで行くと、“当別峠”をトンネルで越えますが、旧道の“当別トンネル”を通ります。

このトンネルは旧道なのですが、ここの出入り口から入る集落や作業場があるため、けっこう交通量があり、意外とバイクを止めるのに苦労しました。

 

 

このトンネルの竣工は“昭和38年2月”とありました。

ちなみに新トンネルは“当別峠トンネル”となっていて、この旧道トンネルは“当別トンネル”となっています。

 

 

続いて、津野町(旧東津野町)と梼原町の境の標高597mの“野越”を越えます。

この峠もトンネルで抜けていますが、旧道では峠で越えます。

峠には坂本龍馬さんの脱藩ルート表示があり、龍馬さんは197号線の梼原街道を布施ヶ坂、当別峠、野越と峠越えをして梼原に入りました。

 

 

野越を越えて梼原町に入ると標高はグンと高くなり、国道197号線沿いの神在居(かんざいこ)という地にある標高600mの斜面には千枚田が築かれていて、司馬遼太郎氏はその天に向かって幾重にも重なる千枚田の光景に感動して、「農業が築き上げた日本のピラミッド、万里の長城にも匹敵する」と絶賛しています。

 

 

1862年3月23日、龍馬さんは丸一日かけて約80キロを踏破して、ここ梼原で同じく勤王の志士である那須俊平・信吾親子の家に宿泊しています。

この晩は土佐での最後の晩餐をしたようで、お手伝いの女性と、ほのかなロマンスもあった夕食会であったとも言われています。

 

 

そのまま、旧道を通り梼原の町並みへと向かって行きます。

旧道は竹林の横を通ったり、真下に現国道を見ながら走ったりします。
この旧道は坂本龍馬さんが脱藩したルートにも沿っていますが、所どころバイクでは進入できない歩道区間もあります。

 

 

かつてはこの道を龍馬さんたちは駆け巡ったのでしょうか・・・、そんな事に思いを巡らせながら進んで行きます。

 

 

昭和63年に龍馬さんの脱藩に同行した沢村惣ノ丞(関雄之助)氏から書き写したという脱藩ルートとを明記した「党、関雄之助口供之事」を研究した愛媛県大洲市の郷土研究史家グループが、このルートを発表してから龍馬脱藩ルートとして文化庁が認可して整備されてきました。

 

 

梼原町の「維新の門」という資料館前には、ずらりと勤王の志士たちの銅像が立ち並んでいます。

梼原から脱藩した土佐勤王党の坂本龍馬さんや吉村寅太郎さん他、那須信吾さん、那須俊平さん、前田繁馬さん、中平龍之助さんらの銅像です。

 

 

梼原ゆかりの脱藩の志士たちはみな、幕府軍との戦いで若くして戦死しています。

天誅組のリーダーの吉村寅太郎さんなど有能な人が多く、龍馬さんは「日本の大きな損失」と彼らの早すぎる死を慎んだと言います。この銅像からは彼らの武勇ぶりが伝わります。

 

 

維新の門で志士らに、再度ツーリングの安全を祈願して先に進みます。
同じく脱藩ルートとして越える大越を越えて行きますが、その上を走る未舗装の道へ入り、ダート走行を少し楽しみます。

 

 

林道走行と歴史の道を辿りながら県境のエリアを堪能するという、これぞがオフバイクツーリングの醍醐味を楽しんで行きます。

 

 

旧大越トンネルは今は閉鎖されていて、工場の倉庫になっています。

 

 

現トンネルは“維新トンネル”という名になっていて、昔の峠名を残したものは他にありませんでした。
この峠も脱藩ルートの一つです。

 

今回のルート