リンダマッカートニーさん命日 | 柴犬と小規模農家の奮戦記!

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4月17日はポールマッカートニーの最初の奥さんだったリンダマッカートニーさんの命日です。

1998年の4月17日にリンダ・マッカートニーさんは亡くなりました。

 

 

彼女はアメリカの写真家、ミュージシャン、動物保護活動家、ビジネスウーマンでした。

そしてビートルズのポール・マッカートニーの最初の妻として、また、現代の著名人やミュージシャンを撮影した写真でよく知られています。

 

 

1960年代からロック・アーティスト専門の写真家として活躍していたリンダさんは、1969年にポール・マッカートニーと結婚。

圧倒的な富と名声を手にしたポールと堅実で質素な生活を愛したリンダさんはビートルズ解散後もウイングスとしてともに活動し、1998年に彼女が亡くなるまで常に一緒に過ごしたのです。

1970年のビートルズ解散後、夫からキーボードとピアノを教わり、彼の新しいプロジェクト「ウィングス」に参加するよう強く勧められたが、音楽的にまだ準備ができていないと主張して断ったものの、結局は承諾しました。

 

 

それからビートルズ解散の翌年の「ラム」(1971年)の共作やウイングスへの参加など、ポールの音楽活動を公私にわたってサポートし続けたのです。

 

 

ポールマッカートニーはビートルズとしての来日以来、24年ぶりとなった1990年の来日公演にもリンダさんはコーラス&キーボーディストとして参加していました。

 

 

ポールとの結婚時、リンダには前夫との娘が1人いましたが、その後、ポールとの間に3人の子供をもうけ、長女・メアリーは写真家、次女のステラはご存知の通り世界的ファッションデザイナー、そして長男・ジェイムズはミュージシャンと、みな芸術分野で活躍中です。

また、動物を愛し、ポールとともにベジタリアンであることでも知られるリンダさんは英国内で食品の販売や関連本の出版などにも携わっていました。

リンダさんは1995年に乳がんが発覚し、一度は克服したものの再発。

1998年4月17日、ポールと共に“最期の場所”に選んだアリゾナ・ツーソンにて56歳で帰らぬ人となりました。

 

 

リンダさんはユダヤ系の弁護士の娘として生まれ、ニューヨーク郊外のウエストチェスターにある高級住宅街スカースデイルで裕福な幼少時代を過ごしました。

父リーはショー・ビジネス、とくに著作権問題を扱う弁護士であったため、リンダも多くの音楽家や画家と知り合いになったといいます。

ちなみに1963年に発表されたアメリカの男性デュオであるジャン&ディーンの「リンダ」という曲はバディクラークの1946年のヒット曲「リンダ」であり、当時5歳のリンダさんのことを歌った曲です。

 

 

1950年代にロックンロールを誕生のころから毎晩ラジオで聴いていたというリンダは1964年にビートルズが出演した「エド・サリヴァン・ショー」や1965年のシェア・スタジアム公演も観ているそうです。

リンダさんが18歳の時、母ルイーズが飛行機事故で死去。

このことでリンダさんは結婚を急ぎ、プリンストン大学の同級生ジョセフ・メルビル・シー・ジュニアと結婚。

1963年に娘ヘザーが誕生しますが、わずか1年足らずで離婚したのです。

 

 

ウイングスのキーボード奏者であり、写真家であり、料理家であり、4人の母親でもあり、ポールの良きパートナーだったリンダさんですが、乳癌の手術を経て、肝臓に転移した癌が原因で1998年に亡くなったのです。

 

  

 

リンダさんの死後、生前の作品を集めた唯一のソロ・アルバム「ワイド・プレイリー」がポールの手によりリリースされました。