あっという間の36年。1988年の夏以降に起きた出来事。1989年にベルリンの壁崩壊。これには驚いた。11月のこと。社会主義の敗北がはっきりした。にもかかわらず、1990年代は日本が最も左傾化した時代だったと言って良いと思う。人権を唱えれば何でも、悪事ですらまかり通る。マスコミの力は最強となり、ベルリンの壁崩壊の影響か、55年体制が崩壊し細川連立内閣ができ、その後も村山内閣、橋本内閣、小渕内閣と穏健リベラル政権が続き、野中広務氏が実質的な権力者となる。中国、北朝鮮とも友好関係が続き、一方でアメリカ、クリントン政権がジャパンパッシングを続けた。
もう一つは、1988年、昭和天皇のご体調が悪くおなりになったこと。私が唯一皇居に行ったのは、厚生省の内定式も終わっていくらかたったあと、記帳に行ったとき。
そして翌年崩御された。その日の深夜だったと思うが、加藤剛さん主演のNHKドラマの再放送をやっていた。終戦にまつわるあれこれのドラマ。終戦時の首相、鈴木貫太郎も準主役で出ていた。
私の母から鈴木貫太郎と遠い遠い姻戚関係にあると知らされた。鈴木貫太郎は海軍軍人で、日露戦争に従軍、2・26事件のとき侍従長で、襲われかなりの怪我をする。私の関係でいうとその息子さんの鈴木一さん。侍従次長などを務めた農林官僚。この奥さんが、海軍軍医、赤須文男さんの妹、赤須布美さんだった。その赤須文男さんという軍医にお嫁に行ったのが私の祖父の妹、大叔母にあたる。彼女も夫とともに医者であった。母の叔母にあたる。母は昔、赤須の叔母様といってずいぶん頼りにしているようだった。
1985年だったと思うが、私が大学進学のため静岡から東京に出てきて、赤須家を訪ねるように言われた。東急池上線だったか、どこぞの駅で降りて、豪邸を訪問した記憶がある。まだ、赤須軍医もご存命で、赤須の叔母さまもお元気だった。セレブ、かつ伝統的な家というものはこんな感じなんだと知る。もちろん今は何のつながりもなくなっている。




