映画「インセプション」の2回目を見る | 柴犬カン、福の日記

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柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 『インセプション』という映画を久しぶりに見直した。昔見たと思うが記憶になくなっていた。もちろん見直してる途中で思い出したところがあった。この映画、非常に複雑で夢の中で夢を見たりといった何層もの構造が複雑に重なりあっていて、ぱっと見では理解ができない。

もちろん映画の冒頭部で、その夢の世界に入ることによってどのような現象が起こるのか、またその夢は誰の夢なのかとか、夢の中に入れば入るほど時間が長くなり、上の方の階層ほど短くなるというようなことが説明される。ただし問題は夢の中で相手の潜在意識に何か埋め込むことができたり、または相手の意識から何かを盗むことができると言ったことができるため、夢の世界に入り込んでその情報戦をすると言ったわけだ

 この映画で思うことは、仏教の唯識である。唯識とはこの世界にあるものはただ意識の上でだけ存在し、物体は存在しないという考え方だ。全ては意識の中で完結するため、それは普遍のものではなく、見方や捉え方によって様々な有り様がある。真実というものはただ単に移り変わる諸行無常の様だけである。

 この映画の中では、いま自分の意識があるのは、どこの世界にいるのか。夢の世界なのか現実なのか。また夢の何段目の階層の世界にいるのかよく分からなくなってきてしまう現象が起こる。

 意識の問題ではなく物理学的な中では パラレルワールドというものがあるとも言う。それは元いた世界より少しだけ違う世界だ。

 この一年のコロナ禍は、もしかしたらパラレルワールドなのではないかと。こちらの世界に迷い込んだ人はもしかしたら何かの因果応報で迷い込んでしまったのかもしれない。またインセプションの世界で言えば、これは何層目の夢の中で起こっている事なのか。夢の中の夢の世界にいるのかとか、withコロナの世界はいったい何の意味があるのか?

同じくデカプリオが出ている『シャッターアイランド』も似たようなテーマで、何が現実で何が空想なのかがはっきりしないという設定である。

インターネットの世界があり、バーチャルな世界が広がるにつれ、それを認識する知覚の問題。現実とバーチャルが多重的にこんがらがり、多くの人が途方に暮れてしまう。複雑に紛れ込んでしまう迷路に今の世界は混乱してしまってるのかもしれない。私はこうやって記録に残しておくことで、その時の意識の状態を文字に変換して記録に残しておこうと思う。

クリストファー・ノーラン監督作品。SFアクション大作。人が眠っている間にその潜在意識に侵入し、他人のアイデアを盗みだすという犯罪分野のスペシャリストのコブは、その才能ゆえに最愛の者を失い、国際指名手配犯となってしまう。そんな彼に、人生を取り戻す唯一のチャンス「インセプション」という最高難度のミッションが与えられる。主人公コブにレオナルド・ディカプリオ、共演に渡辺謙、ジョセフ・ゴードン=レビット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジほか。第83回アカデミー賞では作品賞をはじめ8部門にノミネートされ、撮影賞、視覚効果賞、音響編集賞、音響録音賞 と技術系の4部門を受賞した。