村田弘子です。

ポール・ゴーギャンの絵に

「我々はどこから来て 我々は何者で

我々はどこに行くのか」

という作品があるのをご存じの方も

多いと思います。

出典:https://www.tricera.net/ja/artclip/blog803

意味深いこの絵ですが、

ふと、婚活をするとき、誰に申し込めばいいかという答えは

この絵だな

とふと思いました。

 

というのは、自分がお見合いで結婚するとき

この絵を思い出すことはなかったですが

 

どこから来て

何者で

どこへ行こうとしているのか

と考えていたからです。

 

その答えが今の夫でした。

 

結婚前に、どういうことを考えて

彼にしたのか

ということを語る人は

あまりいないと思ったので

 

参考のために

きょうは、この記事のなかだけで

公開しようと思います。

 

何かのヒントにしてくださったら

嬉しいです。

 

そもそもの結婚の前提

結婚を考えるうえで

自分がどういう人と結婚すべきなのかを

考えるとき

 

わたし、こういう人がいい

というだけで成婚するわけでは

もちろんありません。

 

結婚は両者の合意だからです。

つまり、私を求める人は誰か

私を求める人についても、

 

どこから来て

何者で

どこへ行こうとしているのか

 

を考える必要があります。

 

どこから来たのか

私は、まず、卒業後

就職した先での社内恋愛は

ありませんでした。

 

9割が女性の職場だったからです。

 

周りの女性たちの多くは、

社長令嬢。

 

中学受験ではなく、

小学校から一貫校という育ち方が

95%の

異質な環境で、公立高校出身は

50名の同期のうち、私ともうひとりだけでした。

 

接客するお客様が皇族や、大臣、

大会社の社長や夫人だったりする職場だったので、

誰であってもそれなりの会話を合わせられる人、

何があっても失礼でない対応を求められたため

このようなことになっていたのかもしれません。

 

少し前まで、新卒の入社試験には

家庭訪問があった会社でした。

 

コネはありましたが、

よく入れたねと思います。

彼女たちの結婚相手も、

 

堅めでいうと、卒業した大学の

エリート銀行員、商社マン。

 

派手めなところだと、財閥系の会社の

奥さんになっていったりしました。

いわゆる育ちのいいぼんぼんと

結婚していく人が多かったです。

 

有名スポーツ選手と結婚する人もいて

決まるときには、マスコミが社員通用口に

詰めかけました。

 

そんな環境で、私は

自分のことをどうとらえたか?

 

「私はどこから来たのか~

については、上には上があり、

結婚相手にそう多くを求めても

無理であろう」

 

と、24歳で思っていました。

 

私は何者か

私は何者か

という問いは、つまり

私には結婚後、相手の家に対して

何を奉仕できるのか

ということです。

 

家なんて、

古臭い考えに見えますが、

相手に何を奉仕できるかというより、

こっちを考えたほうが、結婚後苦労せず、

なじみのいい結婚ができます。

 

 

私は何者か

どんな強みがあるのか

というと、

その時考えたことはこの二つでした。

 

1.誰とでも同じように接することができる

2.自分が教育を受ける時に、家庭のなかで

限界があったので、自分の子供には

できる限りの受験教育に精進したい熱意がある

 

これを求めている人で、

変な話ですが、ぴかぴかではない人

がいいのではないかと

当時の私は思いました。

 

会社の友達の彼氏のように

ぴかぴかな人だと

私のどこから来たのかでは

足らないだろうと考えたからです。

 

もっといいところのお嬢様を選ぶだろうと

読んだのでした。

 

私はどこへ行くのか

そして、どこへ行くのか

何を結婚後めざしているのか

というところだと、

 

1.長女で男の子のいない家だったので、

お墓は守れと言われていました。

そのため、なぜか「関東圏で

親になにかあったときすぐにいける人がいいのか」と

勘違いしていました。

 

つまり、転勤のない人がいいと思ったのです。

これは全くのミスでした。

結婚した相手は関東でしたが、

帰省には3時間かかっていました。

 

子ども3人をかかえてベビーカーとおんぶで

電車で帰ることは、

雨の日など、悲惨な状態でした。

 

シンガポールから深夜便で朝羽田につく方が

よほど体力は失いません。

 

距離ではないということを、

私はのちに気づきました。

 

2.結婚後は、自分の社交性が生かされないと

私は死んでしまうだろうと思ったので

それは活かせる場がよさそうに思いました。

 

大叔母が外交官の妻で

よく駐在時代の世界の話を

聞いて育ったので、

そういうのにも一時憧れましたが、

 

外交官夫人の友人に話を聞き、

本当に私にはその閉鎖性は無理、

 

また官僚の奥さんほど

出身を問われる存在はないので、

そういう意味でも

私は全然無理と思いました。

 

3.子供の教育はしっかりやると

それも決めていました。やってみると、20年近く

日夜、受験管理をするのは、起業以上に

大変な仕事でした。

 

よくやったと思いますが、周りのお母さんたちは

もっと素晴らしく努力され、成功されていたので、

親業としての自分には、コンプレックスがありました。

 

 

まとめ

こんな風に私は人生の比較的若い頃に

どこから来て何者で どこで行こうとしているか

を考え、

 

跡継ぎを必要とするために

「子どもにしっかり勉強させる人」

で「埼玉に来て」

「事業者の奥さんに向いている人」

を探していた夫とお見合いをしました。

 

夫は私がサラリーマン家庭の出身であることを

最後まで心配して断ろうとしていました。

 

経営者の家の大変さを

私が乗り越えるだろうか

と危惧していたからです。

 

・・・・

いかがでしたでしょうか。

こんな風に、自分にどういう人があっているのか

わからないとき、

過去の私がしたように、

 

自分がどこから来て

何者で

どこへ行こうとしているかを整理すると

 

成立するお見合いが見えてきます。

 

よく自分を知れと言いますが、

「どこから来て」から「どこへ行こうとしているか」

の二つが欠けると、それは不完全で使えません。

 

きょうのお見合いがある方は、

自分のことと同時に

相手のこの3つのことも

考えつつ、お話ししてみるといいのかもですね。

 

 


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