体調を崩して寝床に捕まっています。

寝転がったまま読みやすいように、本棚から文庫本を1冊とりだしました。

20年ほど前に読んだ松原泰道「人生百年を生ききる」でした。何度も読み返したので表紙のカバーが破れ、セロテープで修理した後が見えます。

単行本としては86歳の時に書かれたものだそうだが、97歳の時に文庫として出版され「人生百年を生ききる」に改題されたのだそうです。(泰道さんは102歳まで生ききられました)六章からなっていて豊富な逸話や事例があり、優しい語り口で分かりやすい解説や示唆がちりばめられていて何度読んでも深く染み入ります。

最後の章まで読み進めて野口雨情の「しゃぼん玉」の話になりました。

 

しゃぼん玉とんだ 屋根まで飛んだ

屋根までとんで こわれて消えた

しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた

産まれてすぐにこわれて消えた

風、風、吹くな しゃぼん玉とばそ

 

この童謡は、雨情が中山晋平達と「童謡の全国キャンペーン」で旅をして徳島についたときに、東京に残してきたかわいい2歳の娘が疫痢でなくなったという知らせを受けたそうで、その時に生まれたのがこの童謡なのだそうです。私の好きな童謡の一つで、明るく楽しく歌っていたのですけれど、この話を聞くと胸がいたくなってしまいます。

(あれ?この話 このコラムに書いたような気がする。まあ勘弁してください。)

 

知の巨人/松岡正剛の「日本という方法/おもかげ・うつろいの文化」にも野口雨情が登場します。300ページを超える書籍の最後のほうです。

「日本という方法」を実感してもらうために正剛が案内する4人として金子光晴、九鬼周造、司馬遼太郎と共に紹介されています。

日本の童謡は世界に類例のない子供を対象とした表現運動として生まれました。鈴木三重吉と三木露風が、子供の心にしみる歌を世に出そうと「赤い鳥」を創刊したのだそうです。その創刊号には西條八十の「金糸雀(カナリヤ)」が掲載されました。ご存知「唄を忘れたカナリヤは後ろの山に捨てましょか~~・・・」のあの唄です。なぜか淋しさが募ります。

ここから先は松岡正剛の文章を省略しつつ 雨情の心境を覗いてみます。

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雨情は西條八十に遅れて童謡運動に参加しました。『七つの子』カラスは「なぜ啼くの」と唄いだします。泣くのは七つの子を持つ親のカラスだけれど「山の古巣」へ行かないと その理由はわからない。『赤い靴』をはいてた女の子は「異人さんに連れられて」行っちゃっていまだ行方不明です。「赤い靴見るたび考える 異人さんに逢うたび考える」・・・「考える」などと童謡としては異様な歌詞です。何を訴えたいのでしょう。

『青い目のお人形』は「言葉がわからず」「いっぱい涙を浮かべてた」のです。いずれもこんな童謡があっていいのかというほど何かが欠けていたり、何かが失われていたり、うまくいっていないという子供のための歌です。

中山晋平と組んだ『雨降りお月さん』はお嫁にゆくとき「一人でから傘さしてゆく」ので花嫁さんを華やかに祝っているわけではありません。『あの町この町』も日が暮れると「お家がだんだん遠くなる」のです。『しゃぼん玉』では「生まれてすぐにこわれて消える」のです。これらの童謡は、どんなことも安全でないし、予定通りとは限らない。有為転変があるのだということを告げているのです。子供に向かって、否、大人に向かっても「無常」を突き付けているのです。

子どもに道徳を説いているのでも 教育をしたいのでもないのです。雨情は道徳教育では伝わりっこないことをもっと根底において見せたいのです。社会も家庭も、町も人形もしゃぼん玉も とても壊れやすいものだということ、壊れたからといってそのことに感情を持てなくなっては もっと何かを失うだろうということを告発しているのです。

雨情はこんなふうに書いています。「ほんとうの日本国民をつくりまするには、どうしても日本国民の魂。日本の国の土の匂いに立脚した郷土童謡の力によらねばなりません」。

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私は、ふと気が付くと、これらの童謡や小学唱歌を鼻歌で唄っていることがあります。日本人としての感情を自然に刷り込まれているのかもしれません。

皆さまは、どんな童謡を思い出されますか?

(ライター:山口一郎)