今日の明け方、筆者の自宅周辺では雷の音が「ドーン ドーン!」と響き渡っていました。
家の中で聞いている分には「あ、カミナリ」と思う程度ですが、
これがもしも外で、自然の真っ只中で聞いたなら、とてつもなく怖ろしく感じるだろうなぁ、と寝ぼけながらも思いました。
 
「仕合わせ」という言葉のそもそもの言葉の起こりは奈良時代だといわれています。
その当時は「仕」のところに「為」の字を当てて「為合わせる」と書いていました。(以下点線内「しあわせる力」玄侑宗久著 より抜粋します)
…   …   …   …   …
「為合わせる」ですから、私がすることと、誰かのすることが合わさるわけです。
誰と合わさるか。
最初、相手は天でした。
天が私にどうするのか、それに対して私がどうするのか。
それが「為合わせる」だったのです。
この「為合わせ」ようがうまくいかないと、うまく生きていけません。
ですから、最初の「しあわせ」という言葉の意味は、ほとんど「運命」と同じでした。
天が私に合わせてはくれませんから、「天の思惑次第」ということです。
…   …   …   …   …
「仕合わせる」と書くようになって、相手が「人」になってきたのは室町時代のことだそうです。
 
仕合わせる力は、元々は生き延びるための力だったのですね。
道理で、誰でもが自然と発揮しているはずです。
 
逆に、どんな時に”仕合わせられない”か、”仕合わせる力を発揮できない”か、そこを考えると、あなたが発揮している仕合わせる力の様子が浮き彫りになってくるのかもしれません。
あなたが”仕合わせにくい”時はどんな時ですか?
 
 
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日もお元気でお過ごしください!
 
〈ライター:斉藤知江子