小豆島八十八ケ所霊場 第80番札所
[ 子安観音寺 ]本堂内での 撮影です
【 小豆島大観音 “ 老僧 “ ジジの一言 】
16年前 . 還暦の年に 新住職と交代したのですが . お香がたち 凛としたご本堂内で 仏さまと お話し出来る その瞬間が なんとも言えません。
[ 新発意 ]の頃から 今に至るまでの 数々の出来事が ご本尊さまの お言葉として 浮かんでまいります。
「 おじさーん 見て!見て!
ほら . 髪を 刈ってきたよ 」
きっと . わたしが 髪を切っていた間 .
微塵も 動いてなかったのでしょう。
“ おじさん “ は ご本尊さまの前で . 髪を切ってきた 若き わたしを 待っていました。
『 よう 思いきって . 髪を おろしたのう 』
鬼瓦のような顔をして しっかりと 抱きしめてくれた おじさんは ポロポロと 泣いていました。
この ご本尊さまの 御前で “ おじさん “ の 温もりを おじさんの 涙を … 忘れない。
『 もう そろそろ . その 気持ちの悪い
髪を 切ってこい 』
おじさんは 叔父でも なんでも ありません。当時 .1団体で 2000人という大勢の 同行で お詣りをしていた 遍路団体の先達さんでした。
学校を卒業して 寺に帰ってきた 若きわたしは . 学園生活の 延長の のりで 近所の人と 楽団を 初めていました。
そんなときです。
“ おじさん “ が . わたしを ご本尊さまの前に 呼んだのは。
『 そんな 可哀な 頭をして . ブンチャカ ブンチャカ やっていたら . お前が 喜寿を迎えても 米寿を迎えても「 今は 有難そうに見えるけれど . あれの 若いころは .とても とても… 」と そう 言われるんだぞ 』
本堂の正面で 1時間ほど . 髪を「 刈る 」「 刈らない 」頭を「 丸める 」「 丸めない 」の 応酬が続き 結果 . わたしが 折れて 髪を下ろすことになったのです。
ご本尊さまと わたし以外 . 誰もいない ご本堂内で「 おじさん . あの時は 本当に ありがとう 」と . 合掌し 頭を下げる わたしが いました。
[ 弘法大師 ]空海の お言葉があります。
《 狂毒 自ら解けず 医王 よく治す
摩尼 自ら 宝にあらず工人 よく磨く 》
激しい毒を持った病気は 名医 ( 医王 ) だけが 治療できるが . 自分 1人では 治す事ができない
宝珠 ( 金や 銀 . ルビーや メノウ 等 ) は 最初から 光る 宝石ではない
工人 ( 宝石職人 ) が 原石を 磨く事によって 初めて 光り輝くのだ
本来 . わたしたちの 生活の中にも 医王や 工人に あたる 存在が 大切な筈です。
深い 悲しみや 苦しみが続いている時に . 適切な助言や ちょっとした思いやりによって . 改善の道を示してくれる 師や 友人が 必要なのです。
今の世の中は . 人と人との 結びつきが気薄になり . 生涯の友と呼べる人も. 師と呼べる人もなく . 肉親でさえ “ 真の理解者 “ と 言えないように なってきています。
そんな 煩悩で塗り固められた 社会だからこそ . 仏の徳を改めて思い . 周囲との 心の絆を より深めていく事が 大切なのです。
わたしは あの “ おじさん “ を はじめ 色んな “ 医王 “ や “ 工人 “ に 恵まれて 本当に しあわせな 人生を 送らせて頂きました。
村垣 慧晃 合掌🙏