◇ありがとう ありがとう◇ | ☆All is IRIE here☆

☆All is IRIE here☆

怪獣盛り3歳の息子Yattoの母であり、ピラティスインストラクター。
趣味はTapダンス。
特にミュージシャンとのセッションが好き。

しばらく、引っ越しの準備があって、そして色々思うコトがあって日記を更新する事ができませんでした。

明日は、いよいよ荷物の運びだしです。
引っ越し。
だけど、四月末まではここの家を残しておくので全て運び出す訳じゃないです。

地震後、TAPのレッスンに一個も行ってなくて、会いたい人たちにも全然会えなくて…。
でも、それは気持ちが落ち込んでるからじゃなくて、今は一番ここを旅立つ準備をしなくちゃいけないからです。
落ち着いたら、みんなに会いに行きたい。

やっぱり「ありがとう。」は伝えたい。
伝えんと。

今日は五月のステージのフライヤーをみんなに送る準備をしていました。
荷造りはほとんど終わっているから、結構のんびりのんびり。

今回の「東京を離れる」ってのは、本当に急に決まった事で、すごく仲の良いお友達にもまだ連絡していません。
ちゃんとお手紙書くから待っててね。
急でごめんね。


私、福島原発が爆発した後、お母さんとの会話で「東京へ住むってことは子どもも産まない覚悟だわ!」と言い切りました。
母も「それならいいわ!」と応えました。

「私自身」は(あくまで、私自身の話です。)『子どもを産まない。』という覚悟をしなくてはここに住んじゃいけないって思いました。
子どもへの影響が出るリスクが高くなる以上、私はそれを知ってて「子ども」が欲しいからって産んじゃいけないと思いました。
他人からしたら、すごくすごくバカな考えかもしれないけど、『私』はそう思いました。

でもやっぱり、いつか家族を作りたい。
そのために、5年間も子宮頸癌のリスクと戦ったし、手術もしたんだもの。

でも、この考えが間違ってないってお世話になってる婦人科の先生と話してるとき思えて、正直、先が見えない状況だから不安もあるけど、自分が選んだ事を信じて生きていこうと思いました。

心残りと言ったら、一年間お世話になった職場に対してしかありません。
10年間こっちにいて、最後の最後に本当に素敵な職場と出会えて私はとてもしあわせだった。
仕事を覚える事は大変だったけど、いつも前向きに取り組めた。
素敵な思い出がいっぱい。3月11日の地震発生時以外はね。
でも、今から思えばその後、先輩たちと避難所へ避難したのも大切な思い出の一つになってしまったな。


だけど、今はただ、自分が選んだ道を真っ直ぐ行こうと思う。
過去関西へ移ろうと思ったこと二回。
三度目の正直?

あっという間の10年間。
あの頃二十歳だった私も、間もなく三十歳。

ありがとう ありがとう。