一週間の終わり=週末の始まり~! | うさぎの音楽談議

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ソロとバンドでかれこれ36年ライブ活動やってます!
絶叫する営業兼二種電気工事士です(笑)

なーんか今週は疲れ気味でした…仕事で。ま、こんな時もあります。月~金もどうにかやり過ごした感ありありで、また週末へ突入でございます。今週はライブないですけど、それなりに予定も詰まっていたりして。主に、夜ですがw

 

ここ数週間、アコギを触れませんでした。何故かって、ベース弾いてたからです。そしたらてきめん、右手の指先の皮がなくなってしまいました~(;´Д`) どうしよ、これで2時間も弾いたら痛いだろうなあ。せっかく固めたところだったのに。

でも、今週末は弾くつもりでいます!と、ここで宣言しとけば嫌でも練習せねばならないだろう、と。次回ソロに向けて調整に入らねば。新曲も出来るといいなあ←やりなさいっ。

とか言ってる反面、実はバンドの練習もあるのでベースも新たに何曲か弾けるようにしとかないといけない。あらら、時間が足りなーい!睡眠時間けずるか?!いや、やっぱ午前中は寝ていたいなあ。

 

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昨晩書いたブログにコメントを頂いたりして、またさらに自分の中でも当時の事がふつふつと蘇って来ました。3年前、父が心筋梗塞による肺水腫で急逝した後、私が父の住んでいた部屋に休むために訪れて身近なものの整理をしていたら、箪笥のひとつの引き出しから今まで見た事もないような古い葉書や日記や父の書いたメモがどっさり出てきました。一番古い葉書は、戦時中父が自分の兄弟と交わしていたと思われるものでした。恐らく検閲がまかり通っていた頃と思われるのですが、内容は意外にも敗戦を予感させるような「ざっくばらん」な言葉で綴られていました。それから、日記はまさに20年前私と別れて暮らす事になった当時のものだけが、綺麗に箱に収まって保存されていました。きっとその当時が、父自身にとっても一番きつい時期だったのでしょう。いつ自分が死んでもおかしくない状況下で、確かな記録として残しておきたかったのだと思います。
今の私と同い年の、父です
横浜と板橋、かなり離れてはいましたが私は何とか自分自身のバイト代と奨学金を受け取る事で学生を続ける見込みがついて、年数回、父が当時暮らしていたぼろアパートに泊まりに行っていました。日記には特にその前日の喜びとか、たった一晩泊まって帰って行った後の寂寥感が綿々と綴られていて、読み返して涙が止まらなくなりました。ああ、こんなに自分は父に必要とされていたんだ、って。でも、息子にしてみてばやっと「親離れ」したばかりで、なるべくそこに留まりたくなくて特に用事もないのに翌朝すぐ自分のアパートに戻ってしまっていたのでした。

暫く経って私も就職し、父の事業もそこそこ回るようになってお互いに生活が安定してからも、よく「泊まっていかないか」と言われたものです。でも、常にその時自分の住んでいる場所に戻る事が、私にとって「帰る」事なんだと思って、引き止めを断り続けました。一度失われた「家庭」は、そこにはなかったのですから。後悔とか、優しくしなくてごめんとか、でも自分の信念を理解して欲しいとか、色々な事が頭の中を交錯してその場に立ち尽くしていました。

 

そして、残された書類は後日「訣別」のために全て処分をお願いしました。その気持ちは自分の胸の中にだけ刻んでおけば、誰かと共有出来なくてもそれで充分だと思ったからです。