長いので興味のない方はスルーしてください。
なんとなく気持ちを整理したかったのと、備忘録として。
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子供はやっぱり素直な生き物だ。
去年の夏、数時間だけ保護した形になった近所の男の子がいた。
(結果としてそうなっただけで経緯は長くなるので割愛します)
相変わらずそのお宅からは外にまで聞こえるお母さんの声が日夜響くけど、
頻度が少し減った気がするのと、外で罵声を聞くことはなくなり、お母さんの自制の意識も少し垣間見える。
正直なところ、
大人の私でも日に何度もあんな声で乱暴な言葉を受けていたらまいってしまう、と彼女を責めたい気持ちと、
それぞれの家庭のルールがあり、その経緯を私が全部知っているわけではないのだから外側から一方的に判断してはいけない、という気持ちが私の中ではせめぎ合っている。
ただ、お母さんはきっと頑張ってる。そう信じたい自分がいる。
彼を保護したその日は、聴取や手続き等の待ち時間として、彼と主人と私と警察の方2人でリビングで2、3時間ほど過ごした。
私たち夫婦からすればもちろんリラックスできる時間ではなかったが、彼はわりと楽しそうな姿を何度か見せた。
彼がTVアニメと同じくらい夢中になっていたのは、まるとどらと遊んでいる時間で、
初めて触ったらしい犬という動物に、前半は恐る恐るだった彼も後半は声をあげてはしゃいでいた。
私は、「なんで犬はこうするの?」「なんで?なんで?」と子供らしい直球の質問を浴びせられながらも、彼の素直な感情がそこにあることに少しだけほっとした。
その後は何度か学校帰りの彼を見かけたが、中々話す機会は訪れなかった。
ただ、車ですれ違った時に、窓から顔を出していたまるのことを、足を止めてまで目で追い続ける彼を見て、
あの日のおかげで犬に興味を持ってくれたのかもしれない、と思いなんだか嬉しくなった。
余談となるが、犬という生き物は愛情の行き来する間口が広いと私はよく感じる。
人ほど余計なフィルターがない分、愛し、愛されることに純粋だ。
そして、測れはしないが、愛情を与えれば与えるほど無尽な愛情を返してくれる。
そこには見た目も国籍も人格も職業も、人が人と接する機会に判断される材料は一切関係しない。
ただ、自分のことを愛してくれるか、それだけだ。
セラピードッグ等、犬たちの癒す分野での活躍もそういった意味合いが含まれているように、
純粋なわかりやすい愛情を広い間口でやり取りできる生き物なのだ。
と、言葉で愛情の類を説明するとなんだか変な感じではあるが、
彼がそこをキャッチしたことが私は単純に嬉しかったのだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160708/17/shi-kiv/4a/c4/j/t02200165_0640048013692419490.jpg?caw=800)
先日、夕方にまるとどらの散歩に出たら、家を出てすぐのところで学校帰りの彼を見つけた。
同じタイミングで遭遇した他のわんちゃんにご挨拶させてもらっている最中、彼は少し離れたところから足をとめてずっとこちらを見ていた。
挨拶を終えて、まだそこにいる彼を確認した後、
私はその場にしゃがんで、まるとどらを引き寄せ、彼に向かって「触る?」と声を張って言ってみた。
彼は一呼吸間を置いてから、少しだけ表情を緩ませながらゆっくりとこちらに寄ってきた。
「触る?」ともう一度聞いたらコクンと小さく頷いてから、不器用な手つきでまるとどらの頭を追い始める。
先に進みたいばかりのまるとどらに思うようには触れられないようで、「逃げちゃう」と言いながらもはにかんだ笑顔の彼を見て、
あぁ、やっぱり、犬が好きになったんだと思った。
彼は、あの日、大人たちに向けてこう言った。
本来はいちばん安心できるはずの家には、帰りたくない、と。
大好きなはずのお母さんは、こわい、で、お父さんは、きらい、と。
彼が成長した時、どんな人間になっているのだろうか。
いらぬおせっかいだとしても、口出しできないことだとしても、私は彼の心が心配だ。
それでも、両親からの愛情を受けているからこそ、
犬という生き物に対して、何かそれに近いものを感じたのだろうと信じたい。
人でも動物でも、愛情のあったかさをしっかり感じるんだよ。
大切なものは優しく丁寧に扱うんだよ。
その素直な気持ちは間違ってないよ。
その日の散歩の帰り道、彼の家の前を通ったら、またいつものお母さんの怒鳴り声が聞こえて、少しだけ憂鬱になった。
彼はそこまで怒られることをしたんだろうか。
彼はどんな顔で、どんな感情でいるんだろうか。
彼は怒られた理由をちゃんと理解できたのだろうか。
大人だって人間だ。
冷静さを欠いて、ストレスに耐え切れず、苦痛に打ちひしがれたり、怒りに任せて怒鳴り散らすことだってある。
ただ、本来、我が子の成長のために行う怒るというエネルギーの要する行為が、我が子の成長の過程を大きく阻むことになってしまっては元も子もないはずだ。
日々、感情に任せた怒りをぶつけられた相手は、何が正しいのか、なぜいけないのか、なんてどうでもよくなるだろう。
怒る際、実行できるできないは置いておいても、その子の為に、ということだけはけして忘れてはいけないと私は思う。
それが、少なからず外部から制止されることのない家庭という環境下では、自身のコントロールや抑止力にも繋がるのではないかと思う。
もちろん愛情があることが前提の話だけれども。
間違ったり、失敗するのはしょうがない。
ただ、自分の行いに対して、自問自答したり、反省することや改善する努力を試みることは、
できれば忘れないでほしい。
そんな想いを抱きながらも、楽しかったーと言わんばかりに息をあげた無邪気な様子の2匹を抱き上げ、
私はピンク色の夕空を後にし、自宅に戻った。
たくさん吸収するために、たくさんキャッチするためには、素直でいることがとても大事だ。
特に子供のうちは。
そして、その素直でいられる環境を整え、感情を受け止めて、認めてあげる大人の存在も側には必要だ。
心を閉ざさないで、その素直さをどうか大切に。
どうかまっすぐに。
願うばかりだ。