本年度から、SAPでも2か月に1回の受診でよくなった(主治医の判断が前提)とのことで、これまでは第一土曜日を1型通院に充てていた私ですが、おかげでのんびりとSTAY HOMEできました。


SAPに関する報酬改定は、コロナとは無関係に進んでいた話だと思いますが、グッドタイミング感半端ない…滑り込みセーフって感じ。


amebaから、今日は5年前に書いた記事が紹介されました。そこには、平和な5年前、SAPを導入後はじめての新幹線通院の様子が書かれていましたおねがい


コロナを通じて、いろいろと考えること、感じることがあります。


差別の話を聞けば、自身の1型糖尿病療養とも重ねて感じてみたり。当事者でないとわからないもどかしい思いは、罹患者・医療関係者のそれと、1型糖尿病患者として感じた疎外感の様な感覚と重なってしまう。


医療の現状と医療に対する一般の期待のずれ。
5年以上前、救急のある病院に勤めていたとき。
以前勤めたことのある老人施設から、発熱した入居者が救急外来で受診された結果…インフルエンザ陽性。


その日救急外来担当だった女医さんが、「病院は、病気を治すところ!生活の場ではないっ」の一点張り。つまり、インフルは病気ではないということか?たしか、その病院は基本感染症の人は入院させない方針でした(実際は、主治医の判断次第で入院となることもあった)。


ほかの患者さんを守るという意味での、水際対策。
この女医さんがよく言ってたのが「まったく…患者教育しないと」。


意味はわかるんですけど…
救急外来で、インフルエンザ陽性と診断された入居者を、連れて帰るように言われて老人施設のスタッフも困っただろうな…当時、それが正直な思いでした。


病院は、こういう事態も想定したうえで(?)満床の病院って、少なくとも私の勤めた病院ではありませんでした。


師長さんの大事な仕事のひとつに、『ベッドコントロール』ってあるくらいですから。これ、経営と直結した、大事な仕事なんです。


一方、老人施設は私の勤めていた当時、入居希望者は100名くらいの順番待ち。いつも満床のフル回転。しかも、個室は限られています。夜間の看護師配置は1名…たしかに、インフルエンザで高熱を出してる方を連れて帰ってどうしましょ?って感じでした。


困られたと思います。
感染症対策のためには、施設はすべて個室化するか?病院と同じ様に、隔離も想定して、満床を避け、病院の様に赤字経営(病院がこのためだけで赤字になってるかは、不明)でもやむなしとするか…


とにかく、施設にはそういう発想すら無い時に、「患者教育」を盾に「生活の場ではないっ!」と追い帰されても…「今日の先生は、はずれだった…」としかならないんじゃないかな。インフルであれば、同室者には抗インフルエンザ薬の予防投与っていうのもありだろうけど、これじゃあその相談の余地もなさそうでした…


理論が一方通行で、コーディネートされて無い残念さ(自分のことばっかり感)がそこにはありました。こんな形で、思い知らされることになろうとは…


インフルエンザですらこうだったのですから、コロナの人が入院だなんてどれだけ厳しいでしょう…


それから、どんどん(コロナの)状況が悪化していく中驚いたのは、「誰かのせい」って言う議論がはじまったこと。


これにはさすがに、このタイミングに…⁈っていう驚愕と、悲しさに襲われてしまいました。


何かいいニュースを探したくて検索していた、4/24頃に日赤の『ウィルスの次にやってくるもの』という動画にちょっと救われました。記事を書きたくて、タイトルだけつけて保存していたのが、4/24でしたから。


今日は、私のトラウマ「あり得ない要求をあなたに課そうとした人の方に問題があった」ことについて書きたいと思いました。


私は心のどこかで、「あの時の私は最後まで使命を果たせなかった…」と逃げ出した自分を責めてしまっていた。


仕事からも、患者会からも、通院先や元主治医からも逃げ出した…それは、「もう無理!」と思うくらいのことを押しつけられたから。


コロナに犯人がいたり、今の現状が誰かのせいってありですか?


あり得ないほどの要求を誰かに課そうとしている人はいないでしょうか?


さて、マリの夕散歩に行ってきます。
先週、職場の栄養士さんの娘さんに作ったマスク。
ミシンが壊れたので、最後は手縫いで千鳥がけチョキ


ミシンは、現在修理に出してます。
2〜3日で直るらしいから、帰ってきたら姉と義兄のマスクを縫いあげる予定です照れ


Bloomee LIFE、はじめました。
はじめて届いたお花を飾ってみましたブーケ1