スピリチュアルカウンセラー

山咲きぬよ(さっきー)です

 

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こんにちは爆笑

 

今はスピリチュアルカウンセラー

として、楽しくお仕事を

させていただいている私ですが

 

ここに至るまでは、実は

拗らせまくりの人生でした笑い泣き

 

今さらですが、そんな私のストーリーを

今回から数回に分けてお伝えします。

 

少し長くなりますが

お付き合いくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

【ホメられない認められない

子ども時代】

 

三重県の山奥で生まれ

両親と2歳違いの兄との

4人家族。

 

両親は共働きで

母親は常に忙しくてピリピリ

していました。

 

母は、昔から勉強ができたことが

自慢でした。

でも、家庭の事情で高校に

行けなかったことがコンプレックス

で、そのため、誰に対しても

負けず嫌いで、陰でマウント発言を

繰り返すような人でしたガーン

 

そんな母なので

当然子どもへのジャッジも厳しく

常に学年トップの成績で絵の才能も

発揮していた兄は、母の自慢でした。

 

私は決して成績が悪いわけでは

なかったのですが、兄と比べて

見劣りしていたようです。

 

何を話しても、まずは

否定の言葉で返される

それが普通になっていました。

 

本当にホメてもらった記憶

ないんですよえーん

 

 

 

 

私には今も残っている

2つの傷があるのですが

どちらも母は知りません。

 

裁ち鋏で切った傷と

缶で切った傷なのですが

切った瞬間

「また怒られる!」と思って

ティッシュを巻き付けて

止血しましたガーン

 

初潮が来た時も

母に言えませんでした。

当時、母は子宮を摘出していて

生理がなかったからです。

 

「何を言われるかわからない」

そう思うと言えなかったのです。

 

それまで母が使っていた

ナプキンのある場所は

知っていたので、それで

対処しました。

 

その後、1年間生理が

なかったため、1年後に

母に報告することになりました。

赤飯…なかったですね笑い泣き

 

今、思い出しても

我ながら、可哀想ですね。

 

 

次回は

 

【人をマウントの対象として見ることしかできなかった私】

です。

 

 

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