某女流漫画家の発言!
いきなり股の間から人が出てきて、家に住み着くんですよ!
究極のドライ・マティーニ
ベルモットの瓶を横目で見ながらチャーチルが飲んだジンがそれにあたる。学生の頃、酒場で先輩から聞いた逸話だ。
想像の領域に入ったベルモットは、マイナスに働き、現実のジンをどれほどかよりドライにしたのだろう。
私も壁の棚に置いてあるベルモットを睨みながらジンを飲んでみた。残念ながらただのジンだった。
福生で起きた猟奇事件。顔面をはがれたらしい死体。
性器を切り取られたらしい老人(死体は語る 上野正彦)。
前者の場合は、自殺した飼い主の顔を、飼われていた犬が食った。後者は、心臓麻痺で死んだ飼い主の老人の性器を、飼われていた猫が食った。なぜ可愛がってもらってきたご主人様を食ったのか。それには理由がある。
かつて人間は狼や猫科動物のえさだった。森林を追放されたばかりの、足の遅い、牙や爪のない人間は、彼らの餌食だった。証拠はたくさんある。頭蓋骨の噛まれたあとは、それら肉食獣の歯や顎の構造にぴったり合致する。
彼らは人間が発達し移動しても、ご馳走の味を忘れられず、身体を小さくして犬や猫に変身し、人間に近寄り、愛想を振りまきながら食うチャンスを狙ってきた。
愛犬愛猫家には憤慨なさる向きも多かろうが、そういう方々こそ死にそうだなと自覚したらペットを近づけないようにお気をつけください。
人家に棲みついたネズミは、やがて人語を解するようになるという。まして、犬や猫はなおさらだろう。彼らはしょっちゅう人に話しかけられている。マンツーマン(?)の英会話授業を受けているかのようだ。前言語野が刺激され続けるので、その結果、発声器官が整えば、人語を発しかねないまでになる。前頭葉が未発達なのにそんなことはありえない、とは必ずしもいえない。生まれつき脳のどこかに欠損があっても、残りの部分が代替する例は人間でも多く見られる。極端な場合、脳は頭蓋骨の内側に薄くへばりついているだけの、空洞の頭を持った人物が実在した。日常生活には支障がなかった。ただし、頭を傾けると、頭蓋骨内の水が波音を立てて移動し、よろめくときもあったそうだ。
ONENESS.様々な文化を結びつけるONENESSに音楽も属する。指揮者であり作曲家であるジョン・ウイリアムズが語った言葉だ。
大江健三郎は、この言葉に反応して、あるひとつのものから流れ出てくる様々な文化、ひとつのものにまとめることができる文化として音楽がある、と語っている。
厳密に言えば、実体であるとみなされるひとつのものがあってそこから様々な文化出てくることと、膠(にかわ)か接着剤のようなものがあって様々な文化を結びつけることとは、状況が異なる。
ONENESSを前者の意味として受け取り、拡大解釈を試みよう。
仏教における阿頼耶識は、万象の存在理由を保証するための、理論的要請として発明された。帰納的な、あらまほしきONENESSである。ビッグバンをこれから控えていた始源体は、ビッグバン説が正しいとしての話だが、万能幹細胞のように万象の芽を内包していた。万象はたった一個の実体ONENESSから演繹的に発生した。
さて、私が以前から主張している、我は全人類において一個しか存在しないという説と、ONENESSとの関係は如何なるものか?
ISを国家とはいえない。トッドは、ニヒリズムだといっている。確かにそうだ。領土がない、民衆がいない、だから公共物も公共性もない、あれもないこれもない、撃ちてし止まん、というニヒルな精神があるだけだ。
しかし、国家の定義が変りつつあるのも事実だ。インターネットを通じて、仮想国家が出来つつある。
軍事を専らにする、あるいは、投資を専らにする、総合性を欠いた国家だが、やがてその余剰によって、近代国家の体裁は取り繕えられる。
将来、二重国籍も許可されると聞いたあなたは、ついふらっと……
はたらけどはたらけど わがくらしらくにならず じっと手をみる
叔父の博は、こうつぶやいてから、へただねーと嘲笑した。
あのとき、当人は、倒産した直後だった。
いきなり股の間から人が出てきて、家に住み着くんですよ!
究極のドライ・マティーニ
ベルモットの瓶を横目で見ながらチャーチルが飲んだジンがそれにあたる。学生の頃、酒場で先輩から聞いた逸話だ。
想像の領域に入ったベルモットは、マイナスに働き、現実のジンをどれほどかよりドライにしたのだろう。
私も壁の棚に置いてあるベルモットを睨みながらジンを飲んでみた。残念ながらただのジンだった。
福生で起きた猟奇事件。顔面をはがれたらしい死体。
性器を切り取られたらしい老人(死体は語る 上野正彦)。
前者の場合は、自殺した飼い主の顔を、飼われていた犬が食った。後者は、心臓麻痺で死んだ飼い主の老人の性器を、飼われていた猫が食った。なぜ可愛がってもらってきたご主人様を食ったのか。それには理由がある。
かつて人間は狼や猫科動物のえさだった。森林を追放されたばかりの、足の遅い、牙や爪のない人間は、彼らの餌食だった。証拠はたくさんある。頭蓋骨の噛まれたあとは、それら肉食獣の歯や顎の構造にぴったり合致する。
彼らは人間が発達し移動しても、ご馳走の味を忘れられず、身体を小さくして犬や猫に変身し、人間に近寄り、愛想を振りまきながら食うチャンスを狙ってきた。
愛犬愛猫家には憤慨なさる向きも多かろうが、そういう方々こそ死にそうだなと自覚したらペットを近づけないようにお気をつけください。
人家に棲みついたネズミは、やがて人語を解するようになるという。まして、犬や猫はなおさらだろう。彼らはしょっちゅう人に話しかけられている。マンツーマン(?)の英会話授業を受けているかのようだ。前言語野が刺激され続けるので、その結果、発声器官が整えば、人語を発しかねないまでになる。前頭葉が未発達なのにそんなことはありえない、とは必ずしもいえない。生まれつき脳のどこかに欠損があっても、残りの部分が代替する例は人間でも多く見られる。極端な場合、脳は頭蓋骨の内側に薄くへばりついているだけの、空洞の頭を持った人物が実在した。日常生活には支障がなかった。ただし、頭を傾けると、頭蓋骨内の水が波音を立てて移動し、よろめくときもあったそうだ。
ONENESS.様々な文化を結びつけるONENESSに音楽も属する。指揮者であり作曲家であるジョン・ウイリアムズが語った言葉だ。
大江健三郎は、この言葉に反応して、あるひとつのものから流れ出てくる様々な文化、ひとつのものにまとめることができる文化として音楽がある、と語っている。
厳密に言えば、実体であるとみなされるひとつのものがあってそこから様々な文化出てくることと、膠(にかわ)か接着剤のようなものがあって様々な文化を結びつけることとは、状況が異なる。
ONENESSを前者の意味として受け取り、拡大解釈を試みよう。
仏教における阿頼耶識は、万象の存在理由を保証するための、理論的要請として発明された。帰納的な、あらまほしきONENESSである。ビッグバンをこれから控えていた始源体は、ビッグバン説が正しいとしての話だが、万能幹細胞のように万象の芽を内包していた。万象はたった一個の実体ONENESSから演繹的に発生した。
さて、私が以前から主張している、我は全人類において一個しか存在しないという説と、ONENESSとの関係は如何なるものか?
ISを国家とはいえない。トッドは、ニヒリズムだといっている。確かにそうだ。領土がない、民衆がいない、だから公共物も公共性もない、あれもないこれもない、撃ちてし止まん、というニヒルな精神があるだけだ。
しかし、国家の定義が変りつつあるのも事実だ。インターネットを通じて、仮想国家が出来つつある。
軍事を専らにする、あるいは、投資を専らにする、総合性を欠いた国家だが、やがてその余剰によって、近代国家の体裁は取り繕えられる。
将来、二重国籍も許可されると聞いたあなたは、ついふらっと……
はたらけどはたらけど わがくらしらくにならず じっと手をみる
叔父の博は、こうつぶやいてから、へただねーと嘲笑した。
あのとき、当人は、倒産した直後だった。