ペッパー警部は誰だ?

 

ピンクレディーの、初期のヴァージョンのひとつに、歌い終わった後、あら、パパだったのね、というコメントがついていた。


 

個体が、遺伝子をバケツリレーのように受け渡して行く支え手にすぎないとしたら、遺伝子の専制支配の下に働き使い捨てられる被抑圧者であることになる。諦めではなく、反抗を!

追記。しかし、遺伝子はそれしか生き延びるための方法を持たない。ウイルス化することはいまさら出来ない。逆行は出来ない。生命の原則である。遺伝子に他の選択枝がない場合、個体が専制支配の下に働き使い捨てられる被抑圧者であるとは、一概には言えない。


 

12/2/2005

存在であって非存在ではなかった理由は何か。

存在と無はペアになっている。われわれは存在の側にあるので無が見えない。無とは、生の前と生の後の状態だ。意識の覚醒の前後だ。われわれが塵芥になるとき、存在だけになるとき、無となる。存在に無がこもっていた。無は存在の実体である。物質存在の見る夢。

 

良心は行為の前ではなく行為の後に発動することを君は知っているよね。後悔とは大違いだよ。後悔は否定、良心は肯定。間違えてはいけない。

 

12/24/2005

仮説は設けていいが理念は持ってはいけない。神は死んだ、に続いて、理念は死んだと唱えよう。

仮説はほうっておくと理念化する。仮説は早急にテストされねばならない。数学の仮説は理念化しない。証明が宿阿である世界だからだ。

 

私はときどき墓地に行く。墓碑銘を読む。生年没年を読む。それぞれの人生を思い描く。妄想にふける。ああだった、こうだった。当然みんな死んでいる。

 

高みの見物ではなく、自らの身体性を通して、身を賭して、足元の問題がそのまま世界史の問題であるような問題状況に対決し、イズムに依拠せず、いわば解剖する者のように、道を踏み分けていく登山者のように、敢然と批判精神そのものと化したあの生き方を諸君は忘れたのか!

 

12/25/2005

 

理念の矛盾に生ききるのも、退廃の同一性にちんりんするのも、同じことだと思ってきたが、矛盾など、矛盾だとわかった今、あえてまた矛盾を生活したい。

 

富の由来がわからなくなる時代がもうすぐやってくる。富の源泉が、労働時間や、労働に費やしたエネルギーや、なにやらかにやらに依存せず、結局は実質的にも象徴的にも、重力に関した事柄ではないものに依存する時代がやってくる。労働が、いく千年いく万年人類にとっての重力であった。これは比喩ではない。

富の秘密をいおうか。

資本主義社会での加速度が富を産む。

これに尽きる。

このような社会は疲弊するに決まっている、とマルクスらは推定した。当然の推定だ。やがて衰退状態に陥るからだ。内部が空洞化するからだ。

 

物理的に宇宙全体は爆発過程にある、しかも加速度をもって爆発しつつある。この仮定のもとに、量子レベルも相対論も一元的に説明できる。一元的に衰亡を説明できる。ああ、秘密を漏らしてしまった。

 

無意識はない。なぜなら意識がないからだ。無意識をどこの誰が捕らえているのか?

無意識を言語以前、論理以前ととらえる観点はある。

近代の傲慢だ。

 

1/30/2006

生存が拡大を目指しているのか、維持を目指しているのか、で我々のとるべき態度は二つに分かれる。現実に目指しているのか、目指すという観念がないのか、で二つに、?、分かれる。いかにも目指しているように見えるが目指していない。それは、いかにも神がいるように見えるが存在していないのとパラレルだ。目指してはいない。しかし衝迫はある。加速度がかかっているのだ。物理的な加速度的爆発が生物レベルまで影響している。正直な自然! 

 

2/8/2006

こんなはずではなかった、と女がいう。もっと偉くなっているはずだった、という。他人のことではない。私のことだ。

偉くなるつもりはないといったはずだ、と私は応じる。

それは憶えている。しかし、その意味は、偉くなるつもりはなくても結局偉くなってしまうだろう、ということだった。それを裏切った。

いったとおりになったことがなぜ裏切りなのか? 

裏切りだ。思わせぶりにほのめかしたじゃないか! それとも、どっちにも取れそうに言っておいて私が愚かだったと言いたいのか?

うーん、若いときには自信もあったからなあ。ある振りをしていたし、挫折してもそれまでの過程で弁明ができると思っていた。褒めたものではない。相手が怒るのも無理はない。とうに見透かれていた。ただし、わたくし、怠け者で、のんだくれで、努力しないが、何かを見つけた感じだけはするがね。

 

3/2/2006

枯れる前に桜の花が早々に散るところに日本人は惚れている。山吹等、枯れずに散る花は多々あろうが、桜が最もあっけない。山吹を近くで見れば、しわくちゃババアがたくさんすがり付いている。桜はそういうことはない。もともとのちぢれでうまく隠す。つばき? ぼとんと落ちる。品がないしリアル過ぎる。

3/3/2006

自分の死を意味づけようとするのは卑怯な心根を表している。典型はキリストだ。ソクラテスだ。屑物を大金で売ろうとする下司のやることだ。言説に自信がない者のすることだ。そうすることによって、集団によって言説が改良され、その作業が歴史的なものとなり、解釈と再創造があり、実体となるだろうと博打をうった。自分の死をルーレット盤の上において、後世というルーレットが回るのに任せた。

 

3/3/2006

三島は、晩年、かつての劣等感に再び苛まれるようになった。徴兵をうまいこと逃れた卑怯者であり、ついに文豪にはなれなかった、学習で文章を作っただけの、独創性の欠如した文士であり、天人五衰に現れている偽者に過ぎなかったという自分に対する見切りに泣いた。デカダンスを生き、破滅を求めた。とんでもない破滅型であって、太宰をどうのこうの言えない。

 

3/3/2006

一途、純粋、理念に殉ず。こんなに気持ちの悪いものはない。愚の骨頂だ。馬鹿丸出しだ。ただし、女の熱さ、情の深さ、津々と深まっていく想い、これほど気持ちのいいものはない。

 

3/6/2006

カントが企んだのは、神と人間の棲み分けである。

 

数学的な言語に特有な点は、秘密がないことだ。言語が意味するだけしかない存在がある。

 

理念が生じるときには、必ず日常の限界との遭遇がある。理念が非日常的であるのに、日常をリードするのは、日常の限界を突破する願いとしての当然さを理念が持っているからだ。

 

理念がリアルに感じられる時とは、日常が危機に陥った時だ。

 

3/8/2006

真実、あるいは絶対、である事柄はない、ということだけが真実、あるいは絶対、だ、という文言に聞き飽きていなければ哲学者とは言えはない。それもまた真実、あるいは絶対、ではない、以下同様、というほど私は軽薄でもない。

 

あなたの失望の様を見たり聴いたりすることは楽しい。あなたの知の千万歩の進歩のうちの一歩を見られたからであって、揶揄などしていない。望みを持ったことへの後悔なぞしないでもらいたい。望みを持つとは実に窮屈な心の姿勢だが、望みを捨てないで欲しい。なんでこんな目にあうのが分かっていて前もって注意してくれなかったのか、なぞと怨むな。失望こそがあなたを鍛える。何で前もって失望の予感を吹き込んであなたに心の準備なんぞをさせて十全な失望経験の精髄をふいにさせたろうか!

 

3/8/2006

光の加速度を速度と取り違えているからこそ光速が一定なのだ。正しくは光加速度だから一定は当たり前である。

 

宇宙は加速度的に全方位に爆発しつつある。だから重力が加速度から生じるし(等価原理)、重力質量は慣性質量と同じになる。 微分幾何学的な取り扱いは常識との折衷案である。

 

眠られない夜を過ごす人は、疲労を回復するための睡眠が疲労の原因となり、睡眠による疲労を回復するためにさらに一階層下の睡眠が誘導され、以下繰り返して、究極の深い眠り、死に至る。


 

道徳の規範となる諸例の下に、偽善、怠惰、自堕落、虚偽等々が隠れているのがわかったならば、隠さなければよい。それらの蔑称は、覆いに覆われていたからこそ使われてきた。ベールをとれば必然と当然が潜んでいただけであったのが解る。

 

3/17/2006

筒での定常音の発生に関する、端補正が、ブルーノウトの始原だ。八分の一ぐらいかあるいはそれ以下のずれ。牛飼いの角笛の持たざるを得ない端補正。

 

コンピューターで株をやった場合、市場の地域的な差によって、自分の動きを自分で追う可能性がある。マーケットでの自己言及!

 

3/24/2006

 

合理主義に対抗する非合理主義とは、合理的な思考を外れるものではない。非合理主義は、合理の停滞を批判する合理だ。体系をいまだ持っていない、新たな地平を目指す知を非合理主義という。そう蔑称される。突破の際の主意性、情緒は、停滞する合理の持つ整合性の快感と矛盾しない。その拡大であり、それの執拗な追求であり、理性の快楽主義の謳歌である。

 

ニートやフリーターは若い仏教徒だ。早々に色即是空を悟った者達だ。全体として意味がないということは、もらしてはならない秘密だ。その秘密が蔓延すれば社会は凍りつく。しかし秘密の真理はシッダルダの時代から明らかだった。分かっていながら生を止められないこの矛盾。無意味を生きざるをえないこの徒労。徒労さえ徒労という意味を持たない絶対空。熾烈なニヒリズムに生きる若者達は、かつての私だ。もしかして今も?

 

3/25/2006

 

ミキに考えさせてはいけない。

 

水平はいいけど垂直はやめて。

 

3/28/2006

 

ポランニーの暗黙知について。

第一条件の知覚は第二条件の明確なショックによって間接的に無意識的に与えられるに過ぎないとしたら、条件反射の実験に出てくる犬は、ベルの音を明確には知覚していない可能性もある。よだれを出すという明確な食欲亢進によって間接的無意識的に音を知覚しているのかもしれない。ベルの音は犬には雑音の一要素に過ぎず意識されていないのかもしれない。人が言語の網をカオスにかけるように、犬は音感の網をカオスにかけていて、ベルの音はそれだけで取り出されるほどのきめの細かさで区切られていないのかもしれない。

 

3/30/2006

戦後民主主義の否定は大正教養主義の否定でもあった。戦後っ子が、大正教養主義にどれだけ関わっていたか? 全面的だ。成長過程で二三世代上を尊ぶのは当たり前だった。明治を、鴎外を面白がったのだ。それを含めて自己否定があった。

 

4/4/2006

量子論的な揺らぎが肉眼で見られるようになった。これを見て確実さはない、現象が幻影だとする判断から、この揺らぎこそが確実さの正体であって、静止的固体的確実性は観念の捏造した偽の確実性であったと悟るまで、数秒かかる!

 

4/5/2006

ロラン・バルト、あるいは池内紀が語る、ひたすら機能的なその肉体、なる言辞は、不用意だ。エッフェル塔は、目的を持っていない。機能とは目的に対する恭順の発現だ。ただし、抜け道がひとつある。エッフェル塔は、それ自体が目的だとすること。自体の存在が目的であり、重力の魔に抗して在ることが目的で、そのための機能として、露骨な存在志向機能を露にしているというのがそれだ。

 

4/9/2006

 

金は飴で金の話は鞭。

 

4/21/2006

 

電話が掛かってくる。「お仕事中ですか? すみません。すぐ終わります。手短に申しあげます」

くどい。長い。私の目の前に坐っている相手が不審気に私を見ている。相手は絶好調となる。最初の言葉なぞ忘れ去っている。私は相手に顔をしかめて見せるが、その人はぷいと横を向く。私の意志の弱さ、つけこまれてもなめられてもいやとは言えない良い人振り、愚かしさ等がその人には丸見えだ。

また電話。「今大丈夫ですか?」

それはそう。私は不健康だが死にかけてはいない。

昔のことだが、受話器をとると突然「奥さんいますか?」

参ったね。ヤクザか、薬中か。奥さん、なにしたんだろう?

 

ある男が言った。俺、自分がどうして頭が悪いのか、考えてきたんだが、やっとわかったよ。学生のころ闇鍋でウンコ食べてから急に頭が悪くなった。

 

体言止は蕪雑。媚びへつらい。

 

思い出の詰まったホテルは消えてしまったし……

 

飛行機の影に追い越される。

 

黒ゴマ、くるみ、蜂蜜、クコの実、鶏卵、トマト、黒酢、これに加えて豆乳。漢方の先達の薦める食品。

 

霜陣営に満ち 秋気清し

 

秋風鳴万木 山雨撼高楼

 

とても食べたいと思うまで食べない。

とても飲みたいと思うまで飲まない。

いざ飲み食いを始めてもそれほど食べられない。鯨飲馬食は不快をもたらす。

 

「人間教育と国民教育に教育は二分される。後者の実践として教師は日本人としての心を育め。国旗国歌に対して礼を尽くすのは基本中の基本である。子供にそう教えよ。これをしないのは子供の人権の侵害だ」

国民教育とは、国民国家が市民達の契約の上にのみ成立している機能集団であり、せいぜいいがみなし法人であること、不備ならあらため、不要なら廃絶できる制度であることを教えることにある。このあなたは教育を二分した上で、前者の教育と後者の教育を混同している。けだものではない存在としての心を育み、他人と生きものすべてに礼を尽くすのは人間教育の基本中の基本である! えっ!

 

「金を出せ! さもないと歯を磨くぞ!」

相手のを磨くのは面白くない。どうか自分のを磨いて見せて!

 

解析学はアナログ。差分和分や離散幾何やバブルスペースはデジタル。アナログだと隙間も埋めないといけないのでエネルギーが膨大になる。

多次元世界、多重世界の仮説の致命的欠陥は、エネルギーが分散してたちまち各世界がフリーズする点にある。エネルギー保存則が成り立たない。なぜこんな簡単なことが判らないのか?

 

親に向かって子が怒鳴る。

あんたが全面的に生む権利を持っているなら、こちらは親を殺す権利がある。当たり前でしょ!

 

プルーストを短文で切っていったら価値がなくなるのか? そうしても変わらず残るものは何か?

プルーストのワンパターン。何らかの動作をした瞬間、その動作と同じ動作を過去にしたからというたわいない理由で過去がよみがえる。この繰り返し。

 

アナロジーで世界が成り立っているのではない。アナロジーや比喩でそのものをとらえることは出来ない。それは発見のよすがとなるが、それを否定しなければ次のレベルにはいけない。やはり異なっていた、という発見がなければ、アナロジーと比喩とのネットワークで閉じた世界が出来上がるだけだ。

 

行動で示す、とは、無声映画に戻るということだ。

 

今日はどのキャラでいくか(某女子高校生の発言) ……でいくか、に主体があるとかんぐるのは間違い。そこは、ほっとする一瞬ではあるが「我にかえって」いるだろうか?

 

東京オリンピックのとき、選手村で使われていた毛布が放出され、私はそれを使っていた。

 

原始人が弓矢や吹き矢を使っていたように、子供はそれらで遊ぶ。個体発生は系統発生を繰り返す。

 

神は赤ん坊の姿で地上に降りてくる、そうだ。

 

月が常に同じ面を地球に向けていることこそが、月が地球から分かれた証拠である。バケツに水を入れて砲丸投げの助走のようにからだのまわりに振り回すといつも同じ水面が見える。柄にロープをつけて徐々にバケツを体から遠くしていっても同じだ。月が餅のように延びて離れた直後、地球の回転軸がぶれた。月がとれた分、質量分布が不均衡になったからだ。あぶないところだった。この不均衡は冷却後も続く。大陸はバレていったが、月の残した大穴は太平洋となっていまだに残っている。

 

4/23/2006

 

「百姓の見分け方  塩を大切にする」 たけしが採り上げて読んだラジオの投書より。

 

 4/28/2006

 

自らがどうなろうとその方法に専心する。仏教徒ではなく、科学者を語っているのだ。外部たらんとする意志を、個人生活に関する恨みか、徒労か、無知か、が支えている。