水晶のかけらを集光レンズとして利用するという単純素朴な働きかけが、比喩として、ほんのわずかの一歩であっても、働きかけられる社会全体にとっては、巨大な一歩となりうる。たまたま僕は偶然が積み重なったせいでそういう重大な機会に遭遇している。
この一歩は、幸せ、幸せってなんだっけ、への一歩になるのか、災忌、反吐が出るほど経験して鈍感になってしまいそう、への一歩になるのか。
To Do or Not To Do. それが問題だ。
予測できる余裕のある段階で判断をしなければ、未来は勢いづいてすぐに現実となってしまい、取り返しがつかなくなる。焦らず、だが、すぐに、判断しなくては。いざという時には焦るクセのある僕にとっては苦手な場面だ。実際、もう焦りかけているので、余裕はすでになくなったと疑っているが。
To Do は何を意味するかというと……
火の用途は水や食料の加熱処理にとどまらない。鳥辺野とは別に、ごみ焼却施設も設置できる。葦や蕎麦の実を脱穀してパンを焼ける。陶作部となって、陶磁器を作れる。加熱処理するためにはなくてはならない道具だ。今、水を蹴散らしている川の床には、赤目砂鉄が沈んでいる。鍛冶部となって、たたらを踏んで、砂鉄から粗鋼を作れる。掘削して出てくる岩に混じって黄銅鉱を見つけたことがある。鉄器も銅器も生産可能だ。鉄芯と砂と石灰で鉄筋コンクリート製の構造体ができる。施設ニッポンや、施設アメリカのような、巨大で頑丈な白亜の城砦が出現する。スチームエンジンを開発できる。電線を何重にも回して結んで閉回路を作り、磁石と組み合わせると発電が可能だ。
Not To Doは何を意味するかというと……
水晶を僕だけが秘匿しておくことはなんとかできたとしても、ひとたび焦点から逃れた火は、もう水晶に拘束されない。火を利用するとは、帝国内の全員が火を利用するという、全称命題で表されることがらだ。
火災が起きかねない。いや、必ず起きる。本格的な消火は出来ない。水はあるから小火ぐらいは防げるが、大規模火災は手に負えない。洞窟内では、ほとんどの部屋と通りは、苔や粘菌で壁も天井も覆われて湿っているから、火災が起きる可能性のある場所は、乾燥食料が山積みされている倉庫街しかないので、そこを火気厳禁にすればいいとも思われるが、いやいや甘い。火の勢いを舐めてはいけない。苔や粘菌に含まれている水分などたちまち沸騰し気化してしまうだろう。苔も粘菌も、細かに割れて、巻き上がって、黒焦げになって、剥げ落ちる。酔っ払いの戯れや子供の火いたずらを、母親達が調理するする際の引火を防げるか? 丁子や茶を燃やして煙を吸うやつが出てくるだろう。果実酒の池に火がついたら爆発するぞ。煙に巻かれ、火に焼かれ、死者続出。
脅威は火事だけではない。武器が発達するだろう。施設ニッポンで受けた近代教育の記憶が、市民と白っ子達の脳の深みで眠っているはずだ。彼らは、火の導入をきっかけにして目を覚まし、いや、目がくらみ、弓矢や槍を経ずにいきなり鉄砲、大砲、ダイナマイトを開発するだろう。戦争の際、前線でなされていた、帝国市民兵士と敵の捕虜との擬似的な交換は消滅し、帝国の侵略は、覇権どころではなく、あからさまになり、下品になり、限界知らずとなる。
火災と武器がもたらしうる脅威を押し留めるためには、残念ながら極めてきつい管理体制が必要となる。だから、火の利用規制を、市民と白っ子で議論して決めるのは不可能だ。無道徳的な酔っ払い市民が、厳格な利用規制を、慣れない議論によって相互承認にまで持っていけるわけがない。議論を始めるや否や社会が分裂する恐れさえある。まずい。
だが、そのまずい結果として、近代が到来するのだ。
科学と技術の発達が、歴史の成立、結局は近代政治経済社会成立のための必要条件となる。
その条件を欠いた、市民間の不可思議なほどの平等性も、帝国の存立を論理的に保証する無矛盾性も、近代に取って代わられる。ナチスも恐れ入る、歴史を免れたこの狂気の全体性が、いとおしくさえ思われる時が、いつか来るかもしれないが。
公地公民が私地私民へと退化する。社会が分化する。党派的争いと貧富や身分の格差が発生し、すぐさま固定化する。それぞれのグループの代表がその利益を代弁する。政治の誕生だ。
帝国内で商品が生産される。市場が成立する。交換が行われる。富が蓄積する。貨幣が流通する。資本主義経済の誕生だ。
形式的な議論の場としての国民議会が日常的に開催される。その議決への忠誠が、商取引での履行義務に倣って、モラルとなる。近代市民が利害効率に則って合意する契約社会の誕生だ。
言語をモデルと崇め、恣意を根拠として憚らないシステムが乱立する。
こういった歴史の進行は倒錯的でグロテスクだ。近代が行き詰まった結果としてのニヒリズムではなく、ニヒリズムの次の段階で、近代管理社会が導入されることになるからだ。現在の帝国市民の、命を棒に振ってもなんらかまわないというニヒリズムの後釜として、どんな立ち直りが、どんな治癒がありえようか。そんな、ほとんど解決不能に見える課題への回答として、手垢のついた、結局は世界戦争に至る近代が出てくるとは!
つい、失笑してしまうぞ。
元と後釜、どちらも悪と退廃を競い合おうとするかのようだ。
もしやってみたとして、何世代もかけて莫大な負担を荷いながら辿る途中で、何の意味もなかったと悟ってしまうのが落ちだろう。第二、第三のニヒリズムにまみれるだろう。帝国という名称がほとんど皮肉であるほどプリミティヴなこの巨大村落共同体が、先の見えている消耗極まる近代を繰り返す必要はない。現状のままの悲劇が続いてもいいと僕は思わないが、帝国に近代はふさわしくない。それどころか近代を積極的に拒否する体質らしきものが帝国市民にはあると思う。
市民が共有する健忘症がその一つだ。健忘症は、男たちに諸々の空虚な現象を忘れさせ、女達に新たな生活に適応するために死んだ夫を忘れさせるだけではなく、男であれ女であれ市民を近代から遠ざける機能を持っていると僕は気づいた。この症候群は、現体制を固定化し、安定させている。健忘症という心身事情が先行し、それに見合うように帝国が生長したので、近代の入り込む隙がなかったのかもしれない。あるいは逆に帝国という環境がまず存在し、それを存続させようとした退廃化以前の市民らが、健忘症の振りをすることに合意し、やがて退廃の進行に伴って肉化した、あるいは、健忘症たらんとしていたことを健忘するほど実質化したのかもしれない。はたまた帝国を永遠の楽園と見なした何者かが、近代をよみがえらせないように、全員に記憶喪失の呪いでもかけたのかもしれない。健忘症の帝国に対する効果に関するこれら三つの思いつきのうち、もっともバカバカしい最後の例がどうも気にかかる。
とにかく、近代への道を閉ざすなら、火はあってはならないことがわかった。
ところが、もうすでに、洞窟内ではないが、崖下には火があるのだ。賽は投げられてしまっている。……投げたのは僕だ。
今のところは、崖下に火は収まっている。火葬の機能とともに、病原菌の抑制機能を果たしている。もし鳥辺野がなければ、菌は、岩肌と野原を伝い、ジャングルに垂れ出て繁殖し、あるいは、上昇気流に乗って帝国へ舞い戻ってくる。火は、プラスに働いている。マイナスは隠れている。戦争の際のニンテンドーと同様に、呪術的なものとして、また、死者を葬る場で燃える忌むべきもの、地獄のシンボルとして遠ざけられている。なんとかこのままで抑えられる可能性はある……
うん? 僕の脳内で、何かがはじけ、僕を呼ばわる荒々しい声が聞こえる。今回は誰が出てくるのか。どれだけの数の小人さんたちが僕の頭の中に住みついているのだろう。
ああ、卑怯者、タダヨシよ。オマエはオマエに弁解しているぞ。 大いに間違っていたくせに、逃げ道を見つけようとは、なんてふてえやろうだろう。
細菌やウイルスを火で制しようとしたことは、危険を危険で制することだった。こういった対処法の危険性をオマエは考慮しなかった。草や木の薬効を利用することにまず手を染めるべきだった。ワタシのように。
火の持つ、潜在的マイナスは何か、隠れている危険は何か、もうわかったじゃあないか。火が帝国内に侵入しないという保証が、オマエだけに都合のよい可能性以外に、いったいどこにある? 火を消すべきかどうかどころか、いつ、どのようにして消すかを考えなくてはならないだろうに。いったい自分を何様だと思っているんだ。今までの行動をまだ反省していないじゃあないか。してる? ばっかな。反省した振りを繰り返してきただけだ。かっこうだけだ。
オマエは、延々と失敗を続けてきた。それらはしょっちゅう悪夢となって夜となく昼となくオマエを襲う。あたりまえだ。当然の報いだ。溶岩洞への通路を作るという余計なことをした代償に、怪鳥の群れに襲われ、多くの死者を出した。戦争中、前線で似非ヒューマニストを気取って食料をばら撒いて、赤目に取り囲まれ、多くの兵士を死なせた。彼らは食われた。独りよがりの大義名分をいいことに、枯れ枝に火をつけ、燃え広がらせ、崖下を、大雨が降っても鎮火しない業火の谷間に変え、赤目たちを焼き殺した。チャーリーを死なせた。アルルカンも、酔っ払いも、助けられなかった。アヤカを幸せにしたか? ヒトミを幸せにしているか? そもそも、自分の仲間達を施設から放逐したのはオマエだ。その結果、不可逆の退廃を彼らにもたらした。
オマエは、愚かしく、疑わしい存在だ。信頼できない。極悪人の可能性さえある。そんなやつが行動していいのか。取り返しのつかないことをまたぞろやろうとしていただろう? あれを見ろーっ。
見えない、あるいは、見える、どっちなのかわからない人差し指が、なにかを指し示す。声は、最後の、ろ、が長く延び、僕を見捨てたかのように、遠ざかっていった。だれだったのだろう。
広場に新築された工場で、明るい照明の下、ひたすら作業をしている男の、既視感漂う後姿が、脳の中にかジャングルの暗闇の中にか、指し示された方向に浮かび上がった。おい、と呼びかけるとそいつは振り向いた。ぞっとした。後姿はやはりかつて見たことがあった、施設の壁に懸かっていた鏡の中に。コンクリートとセラミックスを素材に、嬉々としてスチームエンジンを作っている、バカづら下げた僕だった。
よおくわかった。こういうことを僕はやりかねないのだ。何たることか。何たることか。僕自身が近代主義者だったのだ。生まれてから今まで、ずっとそうだったのだ。
あーーーーー……………
火という化学反応を封印せねばならない。
まず水晶のかけらを捨てよう。
生まれて初めて、自らが決めた行動計画を自ら取り消した。
ナントイフ……
赤いめらめら炎が消え、電気と光とコンクリートが消え、近代社会が消え、もう皆ゴミと消えて、樹液と蜜の匂いに惑うはずの黄金虫と、獲物の体臭を舌なめずりして追跡するはずの肉食獣と、寝入りばなをたたき起こされて半醒半夢でうろたえるダチョウが、今や僕とヒトミに並んで暗闇と時間を突っ切りながら、笹竹をかすり葉を破り木の幹にぶちあたって生々しい音を立てていた。
水面を左足で割って踏みこんで、たまたま乗っかった石を、水晶に先んじて捨て去るかのように、後ろへ強く蹴った。
右足を腹につきそうなくらいに引き上げ、精一杯跳躍したものの、着地した時に捻挫してしまい、激痛に、ううっ、うめき、右膝と両手をついたが、体の勢いは止められず、ケツが月と星に向けて丸出しとなったはず、額が川床にめり込み、鼻から水と砂と砂鉄が、もっとの激痛を伴って侵入してきた。
他者にとっては無意味な一歩であっても、僕にとっては大きな……、ゴミの、一歩だった。
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