会談は和気藹々とした雰囲気の中で進行した。作為的にそうであるのではなく、ごく自然にそうなった。市民のうちでは、長期記憶を保つ者は、この三名だけだという特異で決定的な絆で結ばれているからだ。(浮舟が長期記憶を保てた、つまり、記憶遮断の操作を免れた理由はわからない。もしかして、僕と同じような立場にあった子供だったのかもしれない。女ドギーだったのかもしれない。)
僕が質問する形になってしまいがちで、反省することしきりであったが、彼女たちは快く応え、こちらも得る所は多かった。そのひとつは、浮舟のキャリア、いわば、彼女の公の顔についてのものだ。
浮舟は、少女時代、ヘレンの親友だった。大遠征の際は、最後尾近くに位置していたが、女官に抜擢されて、先頭の陣営に入ることになった。ヘレンの地位を知り驚いたそうだ。親友だったと言う事実は伏せたまま、ひたすら献身し続け、ヘレンを感動させ、アルファを養女として賜るまでになった。現在の役割は、死が間近である者たちのためのメンタルケアである。死が間近である者は、帝国内部にも沢山いる。この谷の瀕死者のみを相手にする理由は、彼らが記憶を部分的にだが取り返しかけているからだ。日常の繰り返しの中では、記憶の回復のチャンスはないが、従軍し、殺されずに帰還する兵士の中には、記憶が回復しかけてくる者がある。戦争と記憶の回復との関係はよくわかっていない。帝国はその者たちの帰国を拒否する。そういう兵士たちのかなりの部分は自発的に帰国せず、散逸して野垂れ死にしたり、他国の奴隷になったりする。あるいは、この谷にやってくる。強烈な酸性温泉の治癒力に望みを賭ける者もあるが、多くは岩だらけの鳥辺野、自分たちが拒否された墓場と風景が似ているからやってくる。帝国は、たとえ少数であれ記憶回復者が帝国内に侵入するのを好まない。しかし、彼らを抹殺はしない。帝国は、誰も残さない完全な抹殺が不可能であることを知っており、抹殺の事実があれば必ず知れ渡ることをよくわかっているからだ。だから、彼らが辺境の地にいる限りは、むしろ記憶の回復を放任あるいは助長すらする。そして、回復を死と結びつけることによって、それが非生産的、無効果的、没意味的であり、死にゆく者のみに許される幻想であるとアピールする(二泊三日の十三夜の谷ツアー!)。 浮舟は、通常時は、死にゆく者へ記憶という慰めを与える巫女であり、帝国のエイジェントである。戦争直後の、常時回復が急務の際には、逆に記憶の消失を助長すべく地下帝国に姿を現し、扇動活動に従事する。モーの思し召しめでたくて、ヘレンの地位を侵しそう、と浮舟は言って、ヘレン(しっかり聞いたからね。はい、タッチ)と一緒に笑い転げた。僕は質問したくてうずうずした。ヘレンの手前、やめたけれど。プルターク祝祭日、男女が一列に並んで一斉交合するあの時に、なぜモーゼは僕を浮舟に押しつけようとしたのか?
浮舟のキャリアにも関連するが、帝国の意思決定についても、知識を得られた。
帝国には議会がない。確かに、モーゼがいて、弟のリトルモーゼがいる。僕が官僚だと疑ってきた白っ子集団もいる。トネリ、クロード、ノモリ、ハットリ等々の下級官僚や技官と思しき者たちもいれば、ブラザーたちが警察機能らしきものを担っていると思える。しかし、意思決定機関はない。白っ子1が主張していたように、個々の市民が同型どころか同一であり、実体としての帝国のコピーだとしたら、そもそも議論というものは存在しない。差異あってこその議論だからだ。市民間の奇怪な平等に基づく議論なしの直接民主制ファシズムが存在している。これだけでも唖然とするのに、さらに、なんらかの外的条件に対する(たとえ同一であれ)意思の決定が、現実に、一瞬のうちに、まさに電磁波的に、帝国中に伝わるのだ。どうやって伝わるのか。帝国は生命体をモデルにしているようだから、生命体における神経系の代替物として、ある得体の知れない奇怪なテレパシーを利用した伝達システムが存在しているのだろうと僕は考えてきた。この合意方式、テレパシーの成立要因は、外科手術や遺伝子操作だろうか、あるいは、訓練や教育だろうかと僕は思案したものだった。浮舟は、あっさり、後者であることを認めた。施設ニッポンでの日々の学習科目にそれに相当するものがあったそうだ。幼児の時から、生殖活動に入る直前まで、その訓練は続いたそうだ。僕は、そんな授業を父から受けた記憶はないから、何のことか見当もつかない。何という名称の科目かと訊ねると、KY学だという。経済学? 浮舟はせせら笑った。ええっ、KY学をおぼえてないの? もしかして、知らないの? KY学すなわち空気読み学じゃないの! 空気のどこに文字があるのか? ちょっと、ヘレンちゃん、タダヨシって、やっぱりおかしいわよ。さらに、ヘレンに小声で話しかけ、一緒に笑い始めた。
なかなか私的な話題には入れないまま、2000カウントが過ぎた。女だけの話と称してこそこそばなしをすることが二回、三回と重なり、両者が酔ってきたことがわかった。
浮舟:(突然こちらをにらみ)おい、タダヨシ。あたいを見なよ。純情可憐なかなちゃんをすげなく捨てた憎いこんちくしょう。残酷なことをあっさりする男。(横を向いて)あんた、じゃなかった、ヘレン、気をつけな。平気で女を泣かせる男なんだよ。
ヘレン:(おずおずと)へえ、かなちゃん、あん時、泣いたのかぁ。
僕:(これからが本番だと勇み立った。あん時を思い出して、芝居がかったクサイ口調で言ってみせる。)もう終わりにするよ、ごめん、帰ってくれ。
浮舟:(泣き声で)かなわんわあ。うう、うう、うう。
ヘレン:よお、ご両人。名演技。(みんなで笑う。僕の笑いがひときわ大きい。嘘笑いだからだ)
(浮舟とヘレンがこそこそばなしをまたした。両者が立ち上がる。二メートルある間隔に何者かがいるかのようなそぶりをする。どうやら子供らしい。幅が広いので複数名いる。ということはアルファとベータか。)
僕:僕はそこにいないのかい?
ヘレン:残念ながらいないわ。ふらふらしててなかなか居つかないのよ。子供たちだけよ。
浮舟:さあ、みんなでお歌を唄いましょうね。(浮舟とヘレンは中央に身体を傾け、子供の手を握っているかのように前後に振ってみせた。
浮舟、ヘレン:(ヤスダ姉妹のように、美しい二重唱で歌い上げる)王様どこだ? ドジョウが答えた。ハスの葉の上、お昼寝さ。王様どこだ? スズメが答えた。サボテンの上、お昼寝さ。王様どこだ? チョウチョが答えた、イラクサの上、お昼寝さ。王様どこだ? 王様どこだ? 王様どこだ? どこにもいない。お妃どこだ? ドジョウが答えた。レンゲ川で水浴びさ。お妃どこだ? スズメが答えた。ツタにつかまりブランコさ。お妃どこだ? チョウチョが答えた。お花畑でスミレ摘み。お妃どこだ? お妃どこだ? お妃どこだ? そーれ、あなたの真後ろに。
(僕は拍手した。ヘレンが、作詞作曲したかなちゃんで―す、と言いながら、左手を水平に振ると、浮舟はそれに合わせて一回転した。浮舟とヘレンが僕に向かってお辞儀をしたとき、まだ頭が上がらないうちに、僕はとんでもない提案をしたのだった)
僕:今度はベータ抜きでやってみてくれ。
(見合わせたまま二つの顔が上がってきた。目の表面積が倍以上になり、口が半開きだ。しかしたちまち、両者の顔に笑みが走り、綱引きの姿勢をとって、引いたり引っ張られたり、よろめきながら演技する)
浮舟:(腰を屈めて)さーさ、まーまにだっこして。(ヘレンを見上げて)うちの子に何すんのさ。
ヘレン:(両脇を抱きかかえる感じで)まーまはこっちよ。
浮舟:あのおばさん、だれよ。そうよねえ。ちらないわよねえ。
ヘレン:まーまがお迎えに来たからもう安心! (片足を上げて浮舟を押しとどめる感じで)えい、やあ!
浮舟:何よ、この暴力女。こんなのまーまのはずがないでちゅよねー。
ヘレン:たぶらかされちゃあいけないよ。目を覚ましておくれ、いとしのアルファ!
(僕は、はっと気づいて飛び上がった。いかん! 走り寄り、掻き分けるように両手を広げて間に割ってはいると、想像のアルファを抱き上げ、かかえた姿勢のまま、もとの位置に走って帰り、足もとに降ろした振りをした。)
僕:ママたちが喧嘩しているそのすーきーに、パパーと一緒に踊ろうよ。パパーとワルツを踊ろうよ。(僕は腰を屈めて下に手を差し出し、膝の辺りで仮想の両手をつかみ、唄いながらステップを踏む。かなりきついぜ。)パパーと一緒に踊ろうよ。かわーいアルファ、踊ろうよ。1,2,3.1,2,3.ハップヴォアラ。(高い高いをしてからまた床に置いた感じ) 1,2,3.1,2,3.あーら上手。(両手をつかんで宙に一回転させた感じ) パパーと一緒に踊ろうよ。1,2,3.1,2,3.らららら――。
(僕は、まっすぐに立った。自ら招いた失火に自らが油を注いだという意識。照れ隠しに腰と太ももをたたいたが、そんなことでごまかせるわけがない。女たちはあきれはててものも言えないといった様子だったが、我に返ってがっちり肩を組んだ。その変わり身のすばやさよ!)
浮舟、ヘレン:(せーの、と聞こえた。組んでないほうの腕を打ち振りながら)うちらの苦労も知らないで、うちらの苦労も知らないで、ずいぶん遅れてやってきて、ずいぶん遅れてやってきて、さらっていくとはなにごとだ、なにごとだ。
ヘレン:妊娠中の苦労。丹念にオリモノを検査したわ。いったいどうなるのかっていう不安。
浮舟:生めない苦労もわかっておくれ!
ヘレン:つわりの時、赤ちゃんも同じように気持ちわるいんじゃないかと思って、最初からこんなでごめんなさいって、泣いたんだ。
浮舟:出だしから鍛えてやってたんだよ。
ヘレン:出産の苦痛。鼻の穴からスイカが出るとは大袈裟な。太い雲古を出す感じ。いてーけどね。
浮舟:よだれずんだれるほど経験してみたいわあ。あたいマゾだしさ。
ヘレン:たちまち続く子育ての苦労。
浮舟:おしゃぶりかませといて、抱いたり、おぶったり、担いだりして、どこにでも連れて行ったわ。こっちは、毎日へとへと。老けちまった。ひっきりなしに話しかけ続けたんで、アルファはあんなにおませになったのよ。
ヘレン:突発疹、インフル、アトピー、蕁麻疹、気管支炎、自家中毒、嘔吐、あれやこれや、罹るたびに死ぬかもしれないとおびえたものよ。危険地帯近くまで、薬草探してうろついたわ。モーのやつが採ってきた毒イチゴ食べちゃって、逆さづりして吐かせたわよ。
浮舟、ヘレン:(互いに見つめあいながら)たとえどれほどにつらくても、つらくても、子供と一緒にいられるならば、ど―んなことでもへっちゃらさー!
浮舟:(空いている手を突き上げる)男の身勝手を許すな!
ヘレン:(同じく突き上げる)おーっ!
浮舟:いいとこ取りを許すな!
ヘレン:おーっ!
浮舟:女への甘えを許すな!
ヘレン:おーっ! (こころなしか声がちいさくなった)
浮舟:偽善を許すな!
ヘレン:……。
(浮舟が驚いた表情を浮かべながらヘレンを見つめる。ヘレンは膝を突きへたりこんだ。表情はうつろだ。共闘はここまでだった。浮舟はゆっくりと腕を下ろすと川のほうを向いた。その姿勢のまま無言だ)
僕:(浮舟の背中に向かって)アルファを任せてくれないか。言葉と文字と数字を教え、僕なりのイッパンキョーヨーを教え、知っている限りでの天文学を教えたい。
(僕はアルファを浮舟の跡継ぎの巫女兼エイジェントにしたくないのだ。アルファを確保(!)したがっているのは、ヘレンとても同じだ。記憶が蘇えって後、自分自身以外の関心の的は、アルファだった。十三夜の谷にやってきた真の理由は、アルファに会うことだった。唯一の友情を壊すことは出来ないが、あわよくば、若気の至りだったと詫び、ひれ伏してでも奪回することだった。アルファを自分たちで育てるという点では、僕とヘレンの意図が重なる。しかし、こんなわがままが、通用するだろうか。浮舟を私的生活において極めて惨めな境遇に陥れることができようか。僕たちはどこを間違えているのか)。
浮舟:(背中を向けたまま)あなたがあくまでアルファを自分の元に置いておきたいのなら、私があくまでアルファを離さないんだから、アルファにくっついてあなたも私の元に来るしかないんじゃない?
(この逆襲には仰天した。きゃっ、とへレンが叫んだので、ヘレンもそうだったのだろう。)
浮舟:ごめんね。冗談よ。とかいっても取り返しつかないけどね。性格なの。あ―あ、私たち、ばらばらになっちゃったね。あっという間なんだね、こういうのって。
(そのとおりだ。なんたることだろう。僕たちは、僕たちの決定的な、まさに恩寵のような絆を軽んじ、いかにも逆説的なことだが、その絆をこそ分断の根拠にするという、恐るべき愚昧に陥った。記憶がどれほどまでに危険であるかを示す典型劇を、僕たちは今みずから演じてしまった。主演は、いや、主犯は、僕である。――沈黙が続いた。太陽が舞台上の砂礫を焼く音さえ聞こえそうなほどだ。その沈黙を破って下から呼ばわる声が聞こえた。声の主が螺旋階段を上がってきた。舞台の袖に上半身を出し、ちゅーぐー様に申し上げます、と唱えた。体中に、泥や草の汁を塗り、木の枝や雑草を蔦で縛り付けている。ハットリだ。どのハットリかはわからない)
ヘレン:(顔面蒼白)こちらへ。
(ハットリは、舞台の縁近くを曲線を描きながらすり足で進み、片膝を突くと、ヘレンに耳打ちした。へレンは眉をひそめた。)
ヘレン:わかりました。お待ちしていると伝えてください。
(僕は、まるでムーンウォ―クするように後ろ向きに引き下がり、階段を下りて姿が見えなくなるまで、ハットリから眼を離さなかった。ハットリは誰とも眼を合わせなかった。ヘレンとも。こいつ、惚れてるな、と見破ってしまった)
ヘレン:(僕に向かって、早口に、しかし、やはり眼は合わさずに)モーがここに来るわ。早く行って。胴乱は洞穴の入り口に置いてあるから。
僕:すぐに来るのなら、むしろ……
ヘレン:(眼を吊り上げて僕を睨みつけながら)何ばかなこと考えてんのよ! 早く行って!
僕は女たちに背を向けた。会談はいくらかの情報をもたらしたものの、未来に関して何の同意も得られず、失敗に終わった。未来を貶めてしまった疑いすらある。カウント数の予測だけが成功した。なにせ、階段に一歩足を踏み出したときが、2997カウントだったから。
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