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見かけは痩せてるよ、本当は……、
本日から三日間プチ断食を実行する。カロリーゼロコーラに、ビタミンCとクエン酸,粉末をそれぞれスプーン大匙いっぱいを混ぜたもの、ヨーグルト、卵、生野菜、鯖の水煮、韓国で買ってきた漬け物、コーヒー。それら以外は摂らない。
断食と言えるかなあ。水と塩だけが断食なんだがなあ。
謎の旅館
その旅館全体が、落ち着かず、騒々しかった。
多くの人たちが右往左往していて、ドタバタ足音や陽気なおしゃべりが絶え間ない。
入って来る客も、出て行く客も、泊り客ではなく、昼食を食べるだけの団体客で、外ではバスが待っていた。
広間で一同が慌しく昼食を食べ終えてから、そのまま出て行こうとするので、私が代金を払おうとすると、全員が、絶望とはこれぞとばかり、キャーッと泣き叫んだ。
そんなことをして。思い出させないで。
彼ら彼女らはどこから来てどこへ行くのか。
そこは、この世からあの世へ行く途中のパーキングエリアだった。
お金が通用する世界ではもはやなかった。
何食わぬ顔をしていても、団体客はすべて死者である。
うっかり私が現世のお金を払おうとしたので、去ってきた世界を思い出し、自分が死んだのを再確認して泣き叫んだのだった。
私は戦慄し、驚愕のあまりに、目を覚ました。(さて、私は何者だったか?)
これは、私が小六か中一の時に見た夢である。
重要なのは顔
ある教師が、大勢の学生を前にして、諸君の実力は、こうして顔を見ているだけで分かる、と言った。静止した顔と変化しつつある表情との違いはある。彼がどちらを指して言ったのかは知らない。どちらにせよ、私も同様な意見を持つ。
顔を意図的に変化させる効果よりも、意図には従わない本来性のほうがはるかに強いと思う。脳全体の働きの内で、意識的意志の力量がたいしたものではないことの反映でもあるだろう。
目と目の周辺でその目の持ち主の相当な部分が分かる。目は脳の露出部分だからだ。見る器官を通してこちらから見えてしまう。こんなに簡単な判断の手がかりは他にない。
言語は、手がかりにならないのか? 言語は、話し言葉や文字による表現に関しては、訓練と習慣によって洗練されかつ隠蔽されている。だから、表現主体の本性が、すぐにはわからない。しかし、外部からの言語表現に対する瞬間的な反応は、目とおなじ役割を果たしているように思う。無言の、体の、ハッとする反応が、こちらに知らせてくる。
ある座談会で、動物が人語を解するということは、どうお思いですか、と泉鏡花にたずねられて、柳田国男は、犬なんざァ眼ですな。人の眼というのは非常に力があって、犬はその眼を理解するのですな、と答えている。柳田は、犬が人語を解するとは言っていない。私流に解釈すれば、結果として言語にはなるかもしれないような、言語以前のショウハクを犬は捉えるということだろう。
愛情は、本来言語の介在を必要としない。犬、猫等のペットを飼ったことのある者は誰でも知っている。人間の場合も同様だ。そういう愛情だけが愛情の名に値する(そういう意味で私は愛情という言葉を使っているということだ)。ただ人間の場合だけ、言語を補助手段として使える。あくまで補助手段であることを忘れるのが常だが。
古典物理に一瞥
磁気単極子がないのは、インフレイション(あったとして)の最中でも、強烈な緊迫度のせいで対称性が保たれたからだと思われる。ただし、電荷とのアナロジーが余りにも強いので、磁荷が実体ではなく作用の結果であるのを我々は気づいていないのかもしれない。実在するのは電場だけで、磁場は反作用に過ぎないとしたら? 我々は、反作用に過ぎない現象を、減衰のない反応があるはずはないのに、そこに実体があると思いがちだ。では、何の反作用か。自己である。一度他になった自己の反作用である(量子レベルの話ではない)。時間的に遅れがある。それが磁場だ。反作用は同時的であるとされてきたので、力学とは決定的な差がある。ここの、電磁気学と力学の矛盾、電磁気を力学に帰着させる時のトリックが、相対論を生んだが、光速の扱いについて、他の解釈もあるだろう。単位系の移行においても、Cについての問題が内在する。
やってられない論理
A→B (各項は、名辞でも命題でもよい)から、Aカモ→Bカモへ。
時間の限定のある現実では、カモ、で、進む。進むしかない。ヴィトゲンシュタインとは無縁の言辞。
ヴィトゲンシュタインは、意味のあることには、沈黙を守る。意味のないことしか言わない、という立場をとる。
形式論理学だけでつっぱる、記号的で、現時点から見ると素朴な姿勢であり、生産性が、ない。この貧困に、限りある生命は耐えられない。記号論理に時間は入り込めない。
さまざまのイワン
故横綱大鵬のウクライナ語名はイワン。
イワンの馬鹿。トルストイ。
イワンはあの辺りだけではなく世界中にいっぱいいる。
堺屋太一が、巨人大鵬玉子焼きという冗句を広めた。
のぼせた官僚の大衆侮蔑だな。
うちの隣に住んでいるウクライナ人の息子の名がイワン。
今年、高校に入った。
分からないことがあれば訊きに来させな、と母親に言った。
アーリガトーゴザイマス。
なぜ記憶があり、なぜ心があるか。
記憶は、本能に上乗せして、生存のために貢献する。人類は、大型動物では唯一天敵なしになった。記憶力にひたすら依存したからこそ、その地位を得た。
一方、心は(私は心があるとは思っていないが)、集団を結束するためにあった。ばらばらになった個体の集合を、生命として、少なくとも類として結束するためには、圧が必要だった。結束の必要性、必然性以前には、心はなかった。
だから、個人主義は、心を必要としない。つまり、個人には、心がない。
細胞が、(他臓器すべてと比べてある意味で)変化しない脳と心臓が、アイデンティティーの根拠地。
専攻する分野で日夜格闘を続けつつ、好奇心の赴くままに教養を積む若者が、リベラルに安住することができようか。
クレーヴの奥方を堀辰雄がコピーしたこと。この国の文化が甘かったということ。
エネルギーが重力を持つか? 誰も知らない。
ホタルイカが、海岸に近づくのは、新月の時、月の光がないので、産卵の道しるべを失い、迷子になったから。
逃げるジャッカルが、海に入り、ホタルイカに取り囲まれるシーンを、昔、書いた覚えがある。
思い出すなあ。
ガキのころ、映画館で、ジャッカルもひまわりも観た。ジャッカル21を書いた時は、あれやこれや、引用、パロディ、ローマの休日も(無修正版)、メッチャラクチャラだった。ジャッカルそのものは、書いた後に原作を読んだ。
私は、私のひまわりを書きたかった。書いてから、さあどうだったかという思いを持って、映画ひまわりを、久々、女の子と一緒に、銀座に行って観た。彼女は泣いた。
知人が私に曰く、言語で、言語を否定するような、矛盾を生きるのですね。
私は何をしようとしているのか?
私は、言語以前の長々しい時間を想起し、その時代に生きた祖先に憑依して、言語以降を批判する視座を持つ者である。
長々しい時間を言語によって凝縮しようと、その矛盾を生きようとしている。
表現できるか?