大江の万延元年で、主人公の女房が不倫する理由が分からない。主人公に全く魅力がないのは読者にも分かるが。そうするだけの特殊な理由が不明である。
私が不倫するのには、充分な理由がある。
ロストロポーヴィッチによるブリテンの作品を聴く。両者は友人同士、あるいは、それ以上であったかもしれない(ブリテンはホモ)。ヘンリー・パーセルの主題による青少年のための管弦楽入門は、日本人すべてが、小学生の時に音楽の授業で聴かされた作品だ。
シェスタコヴィッチやベルクの系列にある作曲家であり、機能和声とはむしろ離れた前衛を感じる。
こういう知性。気分、良くなる。
N氏来訪。船で世界一周してきたところだ。
引きこもりの客がかなりいて、途中の港で降りて帰る例もあったらしい。N氏は、すべてのイヴェントに参加し、充実した船旅であったそうな。太鼓のプラクシスが楽しかったらしく(みんな、裏打ちができなくてなあ)、両太腿を手で打って、やってみろという。テーブルを叩くと、大体あっているという。そんなことはない、厳密にあっているはずだ。口論になった。口論では決着がつかない。録音すればいい。そう提案すると、彼は、拒否した。
昔、インドで、音楽カーストたちと一緒に、寺院の前で、ボンゴを叩いていたことがあった。お参りに来る人たちから、喜捨を頂いていた。仲間たちは、私が日本人なので、常に興奮していた。
だからどうのと言うのではない。言っているかな?
N氏は、船旅の間に居合い抜きを教わり、はまってしまったそうだ。帰国するや否や、日本刀を注文した。弾丸を発射すると、日本刀だけが、弾丸を二つに切り裂くと言う。練習の場所を探しているそうだ。
N氏は、夢と希望は異なるという。それはそうだろう。私は、夢はパッシヴ、希望はポジティヴ。だが、どちらも実現しないと注釈を加えた。希望など、実存主義のたわごとだな、とも言った。
希望は実現するという立場のN氏は怒った。私はN氏の説を、ロマンティシズムだと嘲笑した。N氏は突如立ち上がり、帰った。
昨日卵を買った後、バッグが濡れてケツが冷たいので、割れたのが分かった。二個割れていた。パックのその残りをすすった。
W氏の助言(?)に従って、昨夜ウヰスキーを炭酸で割って飲んだところ、今朝は二日酔いである。朝の寝床で、妄想が走らない。日々その妄想に頼って一日を過ごすのに。
十二時過ぎに、ヒップホップのレッスンがあった。踊っているうちに、血流が良くなり、どこかに溜まっていたアルコールが回り初め、いい気分になってしまった。インストラクターの幸子が、痩せましたね、と言った。二日酔いだ、と言うと、うーん、としか答えない。それは分かっていたということか? 顔をそむけていたしね。
高校生の頃、バーで、たまたま隣りあった男と飲み比べをしたことがあった。彼は、兵隊として満州に行っていたそうだ。はちきれるような、強壮なおやじだった。満人、中国人、ロシア人と呑み比べをして負けたことがなかったと豪語する。ウヰスキーを炭酸で割って、一杯飲み干すごとに、カウンターにマッチ棒を置くことにした。ホステスが、何人か替わった。興味津々。野次馬もやってきた。二列のマッチ棒がカウンターの端から端まで並んだ。徹夜。翌日の昼まで。勝負はつかなかった。仲裁が入ったのだ。
私は、二日酔いどころか、三日酔いだ。三日目の晩まで、トイレで寝て暮らした。
洗濯物を干しに行き、庭の隅に聳える柚子の木を見上げ、実をひとつ捥ぎ、齧る。生々しい酸っぱさ。反省を強いる酸っぱさだ。
今もトマトを食べた。いつもトマトを食べている。トマト、大好き。
祖母は、トマトは体にいいと分かっていたが、大嫌いだった、と言っていた。娘時代の話だ。毎日食べたが、そのたんびに吐いていたそうだ。食べられるようになるのに一年かかった、だと。
トマト、大好き。
作用反作用の法則を、押す力、だけに通用すると思っている青少年が多い。教科書には確かに、押し合いのイラストが載っている。しかし、引っ張り力にもまた適用される。張力がそうだ。しかし、ロープは緩む。押し引きを両方とも説明できるように、私は機関車が連結器を通じて客車を引くあるいは押すモデルを使う。運動方程式は、機関車が引く場合も、機関車が後ろから押していく場合でも、同じになる。区別がつかない。
作用反作用の力は、慣性力として等しいのだよ、加速系でも成り立つのはそういう意味でだよ、と例を挙げて式で説明する。相対論が生まれた根拠だ。
ところで、作用反作用の法則は、人間の思考を規定していないか?
脱出速度の説明をする。そもそも、位置エネルギーが、無限遠をゼロにとるということが、諸君、分からない。積分すればそうなる。アリ地獄でもそうなる。あれこれと言ったが、彼らはぼんやりしている。
日常を脱せよ!