寝る前に飲酒して翌日目覚めると、脳の働きが著しく低下しているのが分かる。様々な連想と発想がほぼ皆無である。最も創造的な目覚めの時がだいなしだ。神経の機能低下は、運動にも影響を及ぼす。たとえばヒップホップやダンスが下手になる。夕方、度数四パーセントのを五百ccが限度だろう。


ウッディー・アレンの映画に出てくる、おどおどしたドジな巻き込まれては驚いている主人公にいらいらする。こうでなければ、作品がインテリ向けのアイロニーに終わってしまって、大衆動員が出来ないからだろうが。


タランティーノは、パルプフィクションを映画にした。荒唐無稽に社会問題を混ぜ合わせると観る者の良心がやや救われるところを突いてくるが、それは卑怯というものだ。


瞳の奥の秘密。男女関係の二つをアナロジーとコントラストで交錯させた。どちらの関係も非現実的で、理念が先行してしまっている。


オーケストラ。フラガールズ型の映画。観る者の予想を裏切ろうとやや無理をしたようだ。チャイコフスキーは好きでないのだが、久しぶりに興味深く聞いた。




私は理学系では大失敗をしているので発言権がないと思います。

今でも、自信がありません。かつてのヒキツレがあるから。


何かに、だれかに、焦点を合わせれば、連想があふれ出る。

夢見心地のしばらく後には、はや、彼は誰れ時が、迫るではないか。

こうしてはいられない。

行かなくちゃ。行かなくちゃ。


大失敗。なぜ失敗したのだろう? 以後、私は私を信用していません。


しかし。

……私には、絶対の自信がある。



何の罪もない無辜の幼児でさえ無残に死んでいくからには、神はいない、というナイーヴ率直な批難に応じるためには、幼児でさえ無辜ではない、まして大人はなおさらそうではない、と反論せねばならない。さらには、人はすべて死ぬ、生き物は死ぬ、なぜなら人は、生き物は、すべて無辜ではないからだ、存在そのものが既にもう罪であるからだと立証せねばならない。生命全体が原罪を背負っているということだ。それが言えてはじめて、あらゆるチャンスを狙って罰を下す神が存在する余地が生まれる。

さて、それを誰が言うのか? まさか、君、神の声が聞こえてくるなどと言いはしないだろうなあ?