食べ物にありつく、異性を獲得する、危険を回避する。目下の切実な課題に忙しく促されている動物たちは、いつ、そうでないような行動をとるだろうか? じゃれているときは、そのような課題から解放されているように見える。犬や猫を飼ったことのあるひとにはよくわかるだろう。だが、そういう時は、切実さ、全身全霊をかけた迫力はどこにもない。では、同じ課題からの解放でも、我を忘れるような、感動する瞬間を動物たちは持つことがあるのだろうか? 芸術作品を前にした時の人間のように。 うーん、もしかして、月に向かって吼える狼は、月光に感動しているのかもしれない。立ち止まって、夕陽に見惚れていたゾウの親子がいたという報告もある。
我々の祖先は、目下の切実な課題に促されて言語を発明した。従って、課題から解放されたなら、もはや言語を必要としないはずだ。課題から脱した富裕な有閑階級の存在が芸術を保証した。だから、芸術は本来非言語的である。


デンマークの作家ペーター・ホゥーの書いた、スミラの雪の感覚について。
叙述の精密度が高い。こういうタイトな文章は私の好みだ。記憶やアフォリズムを現時点での情景や心理の描写にはさんでいく。だらしない会話を拒否する。時々詩を挿入する。見事だ。迷宮のような船内の細密描写を辿った結果、私の頭の中に、一隻の船が出来上がってしまったほどだ。ハードボイルドな女主人公が魅力的であるひとつの理由は、彼女が科学技術畑出身であることだ。同じハードボイルドでも、情緒的ではない。ただし、 M=パイ×エルの平方/4×ロウゼロ×Lには笑った。高校生でもわかる式で、今のところ最善の式などではない。
ひとつ問題がある。一人称で書く際に、レティサンス、即ち肝心な出来事を書かずに、データを隠蔽すること、を使っていいか、という問題だ。この作者はこの作品でそれを実行している。独白可能な主人公がこれをやると、主人公は読者を意識していることになってしまう。私が思うには、主人公にはあくまで問題解決型の行動をさせ、何通りかの予測をさせておいてから、種明かしの場面に行きつかせるのがいい。読者に対して秘密は持たない。種明かしの場面では、読者に意外性から来る驚きを与えるよりは、主人公の決断に感心するように読者を仕向けたほうがいいだろう。