「貧乏人は麦を食え!」(正しくは、経済事情に応じて、麦を食べる世帯もあれば米を食べる世帯もある、の謂)。
池田勇人は、低所得者層向けに麦を援助しようとしたわけではない。一九五〇年の日本は、経済的底上げ作業にとりかかってから間もない頃にあった。分に応じて家計を切り盛りして、過渡期に対処せよ、と言いたかったのだろう。
「すべての家庭にチキンを!」
ウェンデル・ウィルキーは、大統領選で、ルーズヴェルトと接戦を演じた共和党員である。ウィルキーは、積極的な援助を公言している。チキンをばら撒きかねなかった、イギリスに対する軍事援助と同様に。


 ОDAを疑問視する研究者アンガス・ディートンは、その著、大脱走 の末尾で、次のように主張する、あるいは、嘆く。
長い研究の結果、ОDAの実効性が疑わしい、又は、逆効果である場合が多いことがわかった。ОDAに限らず、援助行為そのものの効果が疑わしい。僅か一年に○ドル寄付すれば、生き延びていける人たちが世界にはいっぱいいる、というキャンペーンにあなたが賛同して寄付したとする。ところが、与えられた国や人々は衰えていくのだ。富裕国からの援助が貧困国への経済侵略の先兵となった実例には事欠かない。貧困国の独裁政権や軍部を援助する羽目におちいることもある。では、反政府勢力に援助金を送ったらよいのか? ところが、その金は、たちまち武器に化ける。直接武器を送ってくれと言ってくる場合さえある。援助を止めるという選択もある。しかし、富裕国の富裕層にかすかに残っている勝者特有の良心の呵責が、それを許さない。なにせ、援助は彼らにとっては免罪符なのだから。


 私からの提案。援助金と同伴させて援助者もまた援助する。なんなら自衛隊を使ったら?



 シナの諸制度を積極的に取り入れてきた日本が、宦官と科挙だけはそうしなかった。前者を取り入れなかった理由のひとつに、牛馬の去勢の慣習あるいは技術がなかったことがあげられる。後者は、取り入れたときもあったが、世襲制の前では無効であった。
科挙は、明治以降、種々の国家試験制度として、言ってみれば遅ればせながら取り入れられた。一般的には、近代西欧の試験制度を取り入れたとされているが、政府の切実さの現われか、それよりも選抜ははるかに厳正であり、まさに科挙並みだった。試験制度は、日本人の勤勉精神を開花させた。世界にも稀な勉強国民が出現した。エリート選抜のための制度なのに、大衆の学習意欲を駆り立てた。たとえ自らは入学試験や資格試験を受けなくても、学習を重んじ、学習する者を大切にした。このエートスが近代国家としての大成功に日本を導いた。その後の、大失敗にも。>