灯台の見える宿にて【十二】 | “濱の日本橋”喬美家三代目のブログ

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 私、かつて横浜旧市街南部にあった“濱の日本橋”芸妓置屋、喬美家の三代目と申します。

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 今となってみれば、四人の内ではっきりした消息がわかっているのは、ひとりだけなのでした。作麼生[そもさん]ご承知であろうとおり、既にハズとのいきさつを語ったあの頃から、もうどれだけの歳月が過ぎたろう。

 私さえあれから二度も住まいが変わって、花街にはそのつど新しい所番地を伝えておりますけれど、同様に彼女たちもまた例外なく別の土地へ移り住んでいます(残念ながら私どものいた置屋さんも、既になくなっていることを必ず念頭に刻んで下さいませ)。ここまで語れば察するがまま、我々本来の拠点すら事実上は崩壊した今や、永い間に簡単な時候の挨拶とて難しくなるとも、それもまた世に間々ある倣いかも知れません。

 

 消息の確かな彼女は、割と最近まである郊外の新興都市に小料理屋を営んでおりまして、こちらは幸い、娘さんご夫婦がその代を引き継いで、なんやかやと息災にやって行けているとのこと(老いて尚、毎日とは言わず嘗[かつ]て持ち前の気丈を発揮し、たまにはお店へ出て常連さんの顔色伺い役を近来は努めているいるよし)。

 そんな彼女は、あの五人の妓にあって一番の年上でした(としても数歳の差ですが)。ただ、当時の私から仰ぎ見て、彼女の強[したた]かさ、又その立ち居振る舞いの堅実を思い知り、ゆえに今も尚ひとまわり位の大人だなあ、としか思えてなりません。かかる常日頃の凛々しい風貌にあやまたず、いつも帯のお太鼓が際立って離れるがまま背はしゃんと伸びて、絵に描いた如くその姿勢が美しい。

 寡黙にして自らの過去をあまり語らない彼女ゆえ、これ以上の描写の下世話もなく、ただ、甘えのない実利的な人生のみそこから我々は看取すればいいのでしょう。

 

 一方、彼女の旦那様といえば、これが輪を掛けて生真面目な方でした。実際、彼も一緒に永らくお店を切り盛りしていたのだから、こちらもそれで説明は無要の筈(尤も脳梗塞を患ってから、もう店に降りて来るのは無理らしい)。

 ところが、そんな愚直一方の働き盛りの頃、経済力ではなく明くまでもその人柄に於いて、彼女に惚れ込んでからが些か不相応な木戸[とばぐち]だったらしい。既に家庭を持って短からず、どうしてそれが暴露されたか、そんなことは私の穿[さぐ]るべき塵埃でもないにせよ、伝わるところ本人からして罪の意識に苛[さいな]まされ、奥様からほんとうに足蹴を喰らって平謝りを繰り返し、よくぞこれで戦後復興のやっぱり二代目中規模企業を営んでいたものと、誰もが目を覆う怯懦の経緯[いきさつ]でした。

 だけどそれは更に私の物語るところではなし。

 実際、家庭とやりなおすか、今や肚をくくって彼女を真摯に愛してあげるか——ある意味、これ以上はなくわかりやすい二択すら、この旦那様に於いては仲々覚悟が定まらなかった。

 それでも兎も角、彼はすったもんだの離縁を選びました(実態は離縁された、と専ら花街雀の評ばかりが賑々しい)。されどこんな修羅場に精力を浪費する内、手堅かった筈の事業が次第に傾いてうまく行かず、その存続自体はもう暫く続いたものの、あろう話しか親を継いだ自分の会社がよそに吸収合併の涯て逐われてしまったとは。

 そのあげく、いよいよ切羽詰まった彼はなんと、彼女の妾宅[いえ]へ単身転がり込んでしまい、これを聴く外野の眉根すら嘆かわしい。

 

 されどここで慌てなかった彼女は豪[えら]かったぁ。元々、いつかこの花街の芸妓を辞めて、たとえ猫額[びょうがく]であれ前述の小料理屋さんをやってみたい、それが彼女らしい“夢”だったのです。のみならず、もしこの情けない旦那様の椿事にも験[けみし]あらばこそ、会社を逐われたそれなりの示談の額面が些かは二人に舞い込んで、寄る辺の失せた彼を説き伏せ、又この為に貯めていたお金もはたき、念願の小料理屋を実現したとは、まるっきり森繁久彌の『夫婦善哉』を目前に見るが如し。

 その一念発起は能く人に膾炙して、花街からも、又、当時そろそろ本腰の引っ越しを控え、その寓居[かりずまい]にいた婚約中の我々からも遠くなかった故あって、この繁華街の居抜きでは高かったろうなあ、の好立地を得たお店は当初から賑わいました(駄目なばかりでもなく、旦那様本来の経歴と能力もここで思いのほか役立ったこととて間違いありません)。

 事実のたまに、ハズを伴い出掛けたその見た限りでは、彼女の紺飛白[こんがすり]はいうに及ばず、未[いま]だちょっと恥ずかしげにみえる旦那様の捻じり鉢巻姿も揃って甲斐々々しく、会社帰りのお客様の間を跳ね回って注文を捌くに至り、これならばとお座敷の彼女を識らぬ筈もないハズと、頼もしい阿吽[あうん]を以て頷きあったのでした。

 ……その案の定、いつか覗いたたまの暇な折り、私にならばと耳打ちされて、おかげさまで少しは小金も貯まって来たわ、こう教えられた刹那の我が雀躍たるや、あゝ、ほんとうに良かったぁ。