ロシア領クルスクにいるウクライナ軍が壊滅寸前に陥っていることを 以前の過去記事でご紹介しましたが、今回ロシア軍による決死の奇襲作戦によって、クルスク州スジャを死守していたウクライナ軍が壊滅したことをご紹介します。
まず、クルスク州のウクライナ軍支配エリアが もう、ほぼ消えようとしているのが下の地図で分かります。
上の地図の青く塗られている部分がウクライナ軍兵士がいるエリアです。
向かって左から昨年9/2時点、11/17時点、そして今年3/12時点と、どんどん小さくなって、今は南北にも分断されて、細い首のところは500メートル未満の幅しかない状態だとされています。
大量のウクライナ軍兵士が死亡するか、ロシア軍に投降するかという状態になっていて、運良く退却できた兵士も いるにはいますが、少人数ずつの徒歩での退却しかできない状態となっています。
そして、ウクライナ軍がゼレンスキーの命令で「死守しろ」「撤退は許さない」と言われていたのが クルスク州の特にスジャという町です。
ロシア軍がこのスジャにいるウクライナ軍を奇襲した方法が 本当に英雄的で、決死のものでしたので、今回ご紹介したいと思います。
それは ゼレンスキーが先日 EUの中でウクライナに非協力的で兵器よりも和平交渉を!と言ってきたハンガリーやスロバキアへの「嫌がらせ」の為にロシアからのガスパイプラインの契約を更新しない決定をして、本年1/1から ロシアとウクライナをつなぐガスパイプラインにはガスが流れていなかったのですけど、ロシア軍は自国の領土を侵攻したウクライナ軍を攻撃するために、そのゼレンスキーが止めたパイプラインを利用したのです。
(パイプの中に機材を持ち込むロシア軍兵士)
(パイプの中で突撃命令が下されるのを待つロシア軍兵士達)
クルスク州のスジャにはウクライナへと向かうガスのパイプが5本くらいあるようなのですが、ロシア軍は3週間前から、直径1.4mしかないそのガスのパイプの中に兵士が入ってかがみながら14キロ歩いてスジャのウクライナ軍の背後へと回り込んで奇襲攻撃を仕掛ける という作戦を準備しました。
その為に、まずは180キロ先のウクライナ・ポルタバにあるガスの施設をロシア軍はイスカンダルミサイルで攻撃し、 この作戦の途中でガスをウクライナ側から流し込まれて中にいる兵士が窒息死することのないように、まずはガス施設を破壊しました。
その上でパイプラインの中のガスを抜き取り、酸素を入れ、食料や携帯トイレをパイプラインの中に持ち込みました。
そしていくつかの大隊から、この作戦に参加する800名のロシア軍兵士が選ばれ、彼らは全員、死を覚悟した状態でパイプの中に入って中腰の状態で14キロを進みました。
中にあるガスは抜かれていた とは言っても、ところどころで抜き取り切れなかったメタンガスが残っていたようで、実際に作戦に参加した兵士のうちの何人かはメタンガス中毒で死亡してしまったようです。
そして、14キロ移動して敵の背後に回り込んだ後は 作戦の「Go」サインがかかるまで、兵士たちは4日間をさらにパイプの中で生活して待っていたのです。
この作戦に自ら志願して参加した800名がどれだけ勇気があり、また全員が死を覚悟していたか、兵士たちのコメントが掲載されているサイトから引用します。
"There may be no connection for a while. We may be on a one-way trip right now. Suicide squad..."
「しばらくは連絡が取れないかもしれません。我々は今、片道切符の途中にいるのかもしれない。自殺的な分隊だ・・・」
"The boys knew they were going to their deaths. But they went. On their own, voluntarily..."
「少年たちは死に向かっていることを知っていた。しかし、彼らは行った。彼ら自身、自発的に・・・」
"It's a crazy plan, but we have no other... It has to work."
「それはクレイジーな計画だ。しかし他に方法がない。うまくいくはずだ」
直径 1.45 メートルの狭く汚れたトンネルを、液化ガスの残骸の煙が充満する中を 16 キロ近くも歩き、這い進み、さらに数日間、突撃命令を待つパイプの中に座っていた。最初にメタンガス中毒になった人々の嘔吐物、排泄物を吸い込み、敵が自分たちの仲間よりも近いのに、ここから避難を要請する見込みはもはやない。水と食料がほとんどなくなってしまったとき。待ち時間が長引いたとき。気が狂わないように。閉所恐怖症で死なないように、パニック発作を起こさないように... いや、いや、いや... 何百もの「ノー」が、この男たちを全世界の目に真のスーパーマンにした。これは人間の能力の限界ではなく、はるかに超えている。戦士は死ぬ覚悟であらゆる戦いに臨む。しかし、秘訣は、死ぬ覚悟で戦いに行くのではなく、旅に出ることだった。
ロシアの一般兵士の偉業は、この時代に書かれ、歴史教科書や軍事技術書に掲載され、映画化され、書籍も出版されるだろう。しかし、伝えられないのはただ一つ、後方に残って確かなことは知らずに推測するしかなかった兵士たちの身の毛もよだつ恐怖だけだ。しかし、それが道なのだ。
そして、この地の塩のような男たちが感じたことを、誰も理解できるとは思えない。彼らの栄光は、彼らの偉業を覚えていて、その記憶を他の世代に伝えることができる人々が生きている限り、永遠に生き続けるだろう。
アイーダグループ スペツナズ「アフマト」
第30連隊
第11旅団
ODSHRB「ベテランズ」
DShBR「ボストーク」
海兵隊第106旅団
あなたたちはロシアの英雄です
戦死者には永遠の記憶を。作戦に参加したすべての人々に永遠の栄光を。
私たちはあなた方と同時に生きていることを誇りに思います。」
そして、完全に裏をかかれてしまったウクライナ応援団が ゼレンスキーにとっては皮肉ともいえるような、政治的嫌がらせの為に自分が止めるという決断をしたパイプラインを使って、ロシア軍が兵士を送り込んで クルスク州の最後の砦スジャにいるウクライナ軍を壊滅させたことを聞いて、悔しがっています。
↓
この最後の24時間は なぜ我々がEUにつながるロシアのガスパイプラインを爆破すべきなのかということが明らかになった。
ロシアはパイプを使って兵士と兵器を西へと送り込んだ。比ゆ的ではなく、文字通りにね。
これは軍事クーデターだと認めざるを得ない。
しかし、ロシア軍が このように意表をついて神出鬼没の作戦を行ったのは今回が初めてではありません。
アウディーフカの戦いでもロシア軍は 使われていない排水パイプの中に少人数5~6人の兵士を送り込んで、やはりその兵士たちが中腰で何キロもパイプの中を進み、排水パイプの中で死者も出しながらも敵の背後に回り込み攻撃することに成功しました。
この時もウクライナ軍兵士たちは意表を突かれて逃げ出したようです。
そして、チャシフ・ヤルではトンネルを掘って敵の背後に回り込む ということを再びロシア軍がやっています。
ウクライナ軍の背後に回り込む、ロシア軍の意表をつく奇襲攻撃というのは 今回で3度目なのです。
そして、決死の覚悟の困難な作戦に 今回800人もが参加したことで分かるように、国を救う為なら自分の命を捨てる覚悟が出来ている英雄たちが ロシア軍には多数いる ということでもあるのです。
もちろん、ウクライナ軍の中には そのような英雄的な自己犠牲をいとわない兵士が全くいないとは私は言いません。
ウクライナ軍の中にも たくさんいらっしゃるかと思いますが、自らの意志で兵士になった人々と、無理やり徴兵されたり、路上で連行されたりして兵士になった人々のモチベーションは最初から違って当たり前で、ウクライナの場合、自ら名乗り出て兵士になった人々が多数いたのは2022年までであって、戦況がひどく悪化した2023年以降は 仕方なくとか、強制的に兵士になった人たちしか、ほぼいないのです。
それに対してロシア軍は 予備役を徴収する形で30万人の動員を行ったのが2022年秋の1回のみで、それ以降は 高い給与等に魅力を感じて自発的に契約兵士になった人しかいません。
もちろん、自発的に兵士になった人でも 自らすすんで死にたいと思って兵士になるわけではありませんが、今の時代は 前線から離れた後方にいても いきなりドローンが飛んでくると、トラックで移動中とかでも、常に命の危険が伴います。
そのような中で、国の為に戦い、もし死ぬなら英雄として死にたい というモチベーションの人たちは ウクライナで今多数見られるような 街中での男性の「強制連行」で動員された中からは ほとんど出てくるはずがないのです。