ウクライナはロシアによる侵略によって財政的に破綻し、人口も流出、貧困化した というふうに思っておられる方も多いかもしれませんが、それは全く違います。

 

ウクライナ地区の経済状態はソビエト連邦の中では最も裕福なところでした。
広大で肥沃な農地がある上に、車やバスを生産する企業、船を生産する企業、飛行機を生産する企業、ソ連の軍事企業とたくさんの工業地帯もありました。

 

(上の写真:ウクライナにあったバスを生産していた工場)

 

(上の写真:ウクライナにある巨大飛行機のアントノフの工場。アントノフは世界最大の航空機を作っていた)

 

 

そして独立直後の人口は5200万人もいました。(ちなみに今は公式には2800万人と言っていますが、実際はウクライナ政府が支配している領土に住んでいるのは2000万人ギリギリくらいではないかと言われています。)

 

 

ですから、ウクライナは 農業国でもあって工業国でもある、東欧におけるフランスのような国になるのでは・・・との期待が独立当初は国内にあったそうです。

 

 

(上の写真:「ウクライナはソ連を離脱する」というプラカードを掲げて独立を喜ぶウクライナ国民)

 

しかし、ソ連が崩壊した後の90年代、ウクライナとロシアは どちらも庶民がどん底の生活を味わうことになりました。

 

(上と下の写真:ソ連崩壊後の90年代、極度の貧困、食糧難の状態)

 

 

しかし、社会主義国から資本主義国へと変わったロシア、ウクライナでともに経済の実権を握ったのは 優良な国営企業を二束三文で買い取った「オリガルヒ」と呼ばれる成金資本家たちでした。(その多くはユダヤ人)

 

外国人に国の資産が売られたことで、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、中央アジア諸国からラトビアを経由してイギリス、スイスへと資本が逃げていきました。

 

 

ここで、ロシアでは2000年にウラジミール・プーチン氏が大統領となります。

プーチン氏は大統領になってから、不当にロシアの国営資産をタダ同然で買い占めたオリガルヒを逮捕したり、国外に追放したりしました。ロシア国内に留まる場合には一切政治に口を出させないようにしました。

 

 

ところが、ウクライナでは オリガルヒがそのまま経済と政治の実権を握り続けました。

 

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「ウクライナのオリガルヒは民主主義と経済改革にとって悪である」

 

下はウクライナのメディアを支配しているオリガルヒたちです。ほとんどがユダヤ人ですが、トルコ系のタタール人のアフメトフ氏もいます。その他、ゼレンスキー氏のパトロンだったイゴール・コロモイスキー氏や前大統領のペトロ・ポロシェンコ氏も含まれています。

 

 

(上の写真:ウクライナで最も裕福な男と言われているタタール人のアフメトフ氏。

メディアやサッカークラブのシャフタール・ドネツク等を所有していた)

 

 

南部の小麦や東部のドンバス地区で石炭や鉄鋼を生産していた会社もオリガルヒが握っていて、大統領選では オリガルヒのサークル中でたらい回しのように権力が握られました。

 

(上と下のイラスト:ウクライナを食い物にする数人のオリガルヒのイラスト)

 

 

大統領が変わっても、オリガルヒ内での富の再分配が起こるだけでした。

 

そして、ウクライナの経済は ソ連から独立後にどんどん縮小していきます。

1999年のウクライナのGDPは1991年当時のわずか40%へと縮小してしまいました。

 

 

 

上の写真は破産してしまったウクライナの船の工場。

 

車やバスを作っていた工場も破産して清算されてしまいました。

 

GDPが半分以下になる中、ウクライナ国民もより良い生活を求めて、どんどん国から逃げていきました。1991~1999年の間に、800万人ものウクライナ国民が国を出ていきました。

 

一方、プーチン大統領によってオリガルヒを追放したロシアは ゴルバチョフ、エリツィン政権の90年代は 庶民がウクライナ同様のどん底の貧しい生活を送っていましたが、プーチン大統領の改革によって経済が復活していきました。

 

プーチン大統領は 当時のウクライナ大統領だったレオニード・クチマ氏に ロシアとウクライナの経済を統合することを提案します。

実現していれば、ソ連時代に工業地帯だったウクライナにとっても経済が浮上する良いきっかけになったはずでしたが、アメリカの策略によって「カラー革命」が起こって、クチマ政権が打倒され、ユシチェンコ政権へと変わりました。

 

(上の写真:プーチン大統領とレオニード・クチマ当時のウクライナ大統領)

 

(上の写真:「カラー革命」によってクチマ政権が打倒されて親欧米のユシチェンコ氏が2005年1月に大統領になる)

 

プーチン大統領は もちろんウクライナで欧米主導の「カラー革命」が起こって親露のクチマ政権が倒されたことは良くは思っていませんでしたが、新しい大統領のユシチェンコ氏にも格安価格でガスを供給する契約を提示する等、友好関係を築こうと努力しました。

 

ウクライナが 「親EUの路線で経済成長できる」 というのが幻想になったのは

少数のオリガルヒがいつまでも政治の実権を握っていることもありますが、ウクライナで作っていた工業製品や軍需品は あくまでソ連やロシアで需要があったからであって、西側でウクライナ産の自動車やバス、船、飛行機が 競争力を持つものではありませんでした。

ウクライナで作った自動車や飛行機、船はロシアでは売れるのですから、ロシアとの経済関係を良好に保つことがウクライナにとって重要だったのです。

プーチン大統領がクチマ元宇大統領に経済統合を持ちかけたのもそういう理由でしたが、米の策略によるカラー革命で台無しにされました。

 

(上のイラストはお菓子企業を所有しているオリガルヒの1人で元ウクライナ大統領でもある、”チョコレート・キング”こと、ポロシェンコ氏)

 

 

経済が低迷すると、頭脳流出も起こります。科学者もウクライナからは去っていきました。

 

(上の写真:「ウクライナの科学を救え」と書かれたプラカード)

 

今ウクライナの農地が米の投資会社ブラックロックに買われているのは多くの方がご存じかと思います。

 

(ウクライナの農地を買い占めた米の投資会社ブラックロック)

 

 

上の写真はロシアの国連大使が「キエフ政権はウクライナをブラックロックに売った」と国連で発言しているところ。

 
 

ブラックロックに買い占められた土地はウクライナ全土にわたっています。

 

 

(上の写真:「ウクライナの土地売却禁止」という抗議のプラカードを持つ女性)

 

(ゼレンスキーはウクライナをブラックロックに売っている)

 

 

以上でご紹介した写真は下のYoutubeビデオから取ったものです。(ビデオのタイトル:1992年以降のウクライナ:オリガルヒ、資本主義、民主主義?)

 

(一部の写真はWikipediaから取りました)

 

 

 

ソビエト連邦が崩壊した後の90年代、ロシアとウクライナは似たようなどん底の貧困状態でした。食べ物にも困るような状態で物乞いや、一部の女性は売春等でお金を日銭をかせがなければならなかったような状態、栄養状態が悪い上にウォッカの飲みすぎ、高い喫煙率等の不健康な生活で男性の平均寿命は50歳代前半にまで落ちるという状態でした。

 

そこから奇跡の復活を遂げたのが プーチン大統領が現れたロシアであって、プーチン大統領のようなリーダーが出てこずに いつまでも オリガルヒ内で政治権力をたらい回しにしていたウクライナは 腐敗も酷いまま、資本は西側諸国に流出するも、ウクライナ製の工業製品は西側では売れず・・・という悲惨な状態が続きました。

 

ロシアから独立した直後は ウクライナは 最も裕福なソ連の構成国と言われていたので、工業も農業も盛んなフランスのように成長できる という期待があったようですが、今のような状態になったのは プーチン大統領のようなリーダーがウクライナに現れなかったからです。

 

さらに、独立したとは言っても、元々経済的にも民族的にも「切っても切れない」ような関係にあったロシアにそっぽを向いてEUや米国と仲良くすれば経済が成長できる と思い込んだことが大失敗だったと思います。

 

そういう意味では ロシアと経済的に統合することを決めたベラルーシのルカシェンコ大統領は 今は「プーチンのしもべ」であるかののような報道のされ方ですが、ルカシェンコ氏は 元々EU加盟にも興味津々で過去には それをちらつかせてもいました。

しかし、ウクライナでのカラー革命(2004年、2014年)とその後の経済状況を見て、「EUや米国からの甘い言葉に乗ってロシアと経済を切り離せば、きっとベラルーシは自滅する」と悟ったのではないでしょうか。だからウクライナの政治家よりはルカシェンコ氏のほうが狡猾で賢い方だと私は思います。