イスラエルーパレスチナ問題についは ”専門家”と称する色々な方がTV等で意見を述べられていますが、客観的な事実としては 第一次世界大戦中にユダヤ人財閥からの金銭支援が欲しかったイギリスの無責任外交「バルフォア宣言」(1917年)以降からシオニストのパレスチナへの移動、暴力によるパレスチナ人の家やインフラの強奪等の悲劇が始まった ということは明らかです。

 

パレスチナの地がイギリスとそれに共謀したシオニスト・ユダヤ資本家によって奪われた というのがよく分かる秀逸なドキュメンタリーをアルジャジーラが制作していました。(下のビデオのタイトル:パレスチナ1920:パレスチナの物語の裏側)

 

 

 

 

私は何ヶ月か前にこのビデオを見て、本当に悲しくなりましたし、今行われているイスラエルのパレスチナ人に対する虐殺は 国際社会が絶対に許してはならない という気持ちになりました。

 

これは中東問題に興味のある日本の方々全員に是非とも見ていただきたいビデオだと思いましたので、そのドキュメンタリーに日本語字幕を付ける作業を少しずつやってきたのですが、47分程度の長いビデオだったので、字幕編集にけっこう長い時間がかかり、ようやく完成し、近日中に公開できそうです。

 

今回、公開前に お見せしたい写真をいくつかこのブログ記事にご紹介したいと思います。これらの写真を見れば、パレスチナ人が建設した駅や港湾、学校等がそっくりそのまま、シオニストユダヤ人に奪われてしまったことが分かります。

 

シオニストの大移動が始まる前、イギリスはパレスチナについて「少数の農民がいるだけで”何もない土地”」だと言っていました。

しかし、それは完全な嘘で、パレスチナは中東における商業、貿易、鉄道、港の中心でした。パレスチナから出発してあらゆる重要な都市に行ける鉄道や船便があり、それらのインフラは 全てパレスチナ人が建設したものでした。

また、パレスチナは中東で一、二を争う栄えた都市で、学校や映画館も作られ、当時のアラブ世界としては極めて高い識字率もありました。

 

以下、上でご紹介したビデオクリップの中で紹介されている色々な写真を掲載します。

 

上の2枚の写真はエルサレムの鉄道の駅の写真です。1892年当時のものです。

 

上の写真は1900年当時のエルサレム駅です。まだシオニストの入植前です。

 

そして、下の写真がかつてのエルサレム駅の現在の姿です。ほとんどそっくりそのまま、建物が”盗まれて”いることが分かります。

 

 

下の写真はヤッファの港の写真、1899年当時に取られたものを 今の写真に重ね合わせたものです。

 

 

そして、下の写真が現在のヤッファ港。上の1899年当時の写真とそっくりですが、

イスラエルの占領下にあり、パレスチナが港を使用することはできません。

 

 

下は1899年当時のヤッファの港の写真です。

 

 

 

下は1920年当時のヤッファ港の中の様子です。

 

 

そして、下はヤッファの市内中心部にあった時計台。1920年当時の写真です。

 

 

そして、下が現在のヤッファの時計台。これもパレスチナ人が作ったインフラがそっくりそのまま盗まれました。

 

 

 

シオニストの入植前は 商業の中心地であり、モダンな都市だったパレスチナには

カーディーラーのショールームもありました。下はエルサレムにあったカーディーラーショップで1934年当時の写真です。

 

 

そして、その写真が撮られた付近は 今はこうなっています。建物の高さ以外はあまり変わっていなくて、これも事実上”盗まれた”ものではないでしょうか。

 

 

下は車を楽しそうに運転するアラブの人たち。1934年に撮られたものです。

 

 

下はエルサレムにある「ヤッフォ門」で、1908年当時の写真です。

 

それが今の姿では下のようになっています。これも時計台がなくなった以外はほとんど変わりません。明らかに盗まれています。

 

下はエルサレムにあった図書館です。1900年当時の写真です。

 

 

その図書館の建物も まだ残っていてイスラエルに奪われています。↓

 

 

パレスチナではアラブ世界で一、二を争う教育水準がありましたが、戦争などで孤児になった子供たちへの孤児院もありました。下は1932年当時の孤児院の建物の写真を

今の写真に重ね合わせて比較したものです。

 

今の姿が下の写真のようになっています。これも建物がそのまま奪われた事例のひとつでしょう。

 

 

下の2枚の写真はパレスチナにアルアクサ・モスク大学を作る という計画があって、残念ながら計画は頓挫しましたが、当時の企画書や建物などです。

 

 

上の企画書に乗っているアルアクサ・モスク大学の建物も奪われました。

下は今現在の写真です。

 

 

下のいくつかの写真は シオニストたちが入植してくる前、繁栄していたパレスチナでの教育水準の高さを示しています。国際都市だったパレスチナには 外国のインターナショナル・スクールもいくつかありました。

 

 

そして、アラブ世界ではトップと言われていた教育者たちが集まっていました。

下は教師たちの写真です。

 

 

パレスチナはスポーツや文化の面でも繁栄していました。

 

映画館がいくつかあり、映画館でボクシング等のスポーツイベントも行われました。下は映画のパンフレットです。

 

 

そして下の写真は映画館の写真です。

 

 

 

パレスチナのスポーツは ボクシングが特に盛んで、アル・ダスーキはヤッファ出身のパレスチナ人です。
1948年”ナクバの大虐殺”の前、彼は東洋ボクシング選手権を勝利しました。

下はアル・ダスーキ選手の写真です。

 

 

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このブログでご紹介できた写真はごく一部ですが、このように、パレスチナの人たちは シオニストの大移動前までは とても経済的にも、文化的にも発展していて、教育水準も高く、鉄道や港などのインフラも発達していて文化的にも豊かな生活をしていたことが分かります。

 

上にご紹介したパレスチナ人が作った建物やインフラの数々が そっくりそのままシオニスト入植者に奪われただけでなく、個人の家、畑などもどんどん暴力によって奪われていっている というのが歴史的な事実であり、現状なのです。

 

もちろん、ユダヤ人の方々全員がシオニストではありませんし、特にイスラエル以外に住んでいるユダヤ人の方々にはシオニストに対して批判的な方もたくさんいらっしゃいます。ユダヤ人による「パレスチナ連帯デモ」もアメリカでは起こっています。

 

しかし、極めて残念なことに、イスラエルにいるユダヤ人のうち、7~8割の方々が

ガザでの民族浄化に賛成していて「パレスチナ人は全員他国に難民として出ていき、世界中の国がパレスチナ難民を受け入れるべき」と言っていますので、仮に現在のネタニヤフ政権が失脚したとしても、その後に選ばれる首相も かなり過激なパレスチナ人虐殺、民族浄化を推し進める人になってしまうかと思います。

 

イスラエルーパレスチナ問題では イスラエルのほうに同情的だったり中立だったりする方も大勢いらっしゃいますが、このような実態を知れば どうやってシオニストたちに同情できるでしょうか? 

かくいう私も ハマスがイスラエルへの攻撃を開始した昨年の10/7以前は ややパレスチナ寄りではあるものの、ほとんど中立に近い立場でイスラエルーパレスチナ問題を見ていました。

 

しかし 最近は イスラエル政府のパレスチナ人に対しての「ホロコースト」と言ってもよい酷い犯罪行為や、ネタニヤフ政権の極右閣僚たちのパレスチナ人へのあからさまな酷い人種差別発言に対して、イスラエル国家に対しては 全く同情できる点がなくなってしまったというのが現状です。

 

私がいつも言っている「日本の国益」にとっても、これだけ湾岸諸国にエネルギーを依存している訳ですから、アメリカに引きずられて、パレスチナに連帯しようとしているイスラム教国を敵に回すようなことは すべきではありません。