1年前、昨年のちょうど3月末に、ウクライナとロシアはトルコのイスタンブールで戦争を終わらせるための和平交渉を行っていました。
両国が合意間近な状況までいっていたのを 4月上旬にボリス・ジョンソン当時の英国首相がキエフを訪問してゼレンスキー宇大統領に合い、それ以降は、和平交渉、停戦交渉はストップしたままになっています。
その最後の和平交渉から1年経ち、どのような内容が話し合われていたのか、明らかになっていますので、本日はその内容をご紹介したいと思います。
情報元は地政学の専門家、政治評論家であるAlexander Mercouris氏の下のYoutubeビデオです。
昨年3月末、ウクライナとロシアの代表団はトルコのイスタンブールでミーティングを行いました。
そこで合意されたいくつかのことは
1.ウクライナはNATOには加盟せず、中立を維持する。
2.ロシアはキエフ近郊、北部の町チェルニゴフ、スーミから撤退する。
3.ウクライナのEU加盟をロシアは支持する。
4.ウクライナへ外国の部隊を駐留させたり、ウクライナ領内で他国と軍事演習もしない。
5.ウクライナはNATOに加盟しない代わりに、ロシアと西側諸国がそれぞれウクライナに安全保障を提供する。
6.5の安全保障を提供される地域には 東部ドンバス地域(ドネツク州、ルガンスク州)とクリミア半島は含めない。
6の安全保障を提供される地域から独立を宣言している東部2州とクリミアが除かれた というのは 実際にウクライナがこれらの領土をロシアに譲る という意味ではなかったものの、それにつながることを示唆しているわけで、これに危機感を抱いたのが
少なくとも2014年からずっとウクライナ軍やネオナチ民兵を軍事訓練してきてロシアへの代理戦争を画策してきた米英でした。
ボリス・ジョンソン当時の英国首相はゼレンスキー大統領に電話をかけ、「ウクライナがロシアに領土を譲る可能性があることについて、好意的に見ることはできない」と言って、翌日にキエフに飛びました。
そしてキエフについたジョンソン氏は「もしウクライナがこのような提案に合意すれば、米国と英国はウクライナへの安全保障を提供する西側メンバーにはなれない。」と伝えました。 つまり、米英はウクライナに安全保障を提供しない ということは ウクライナが当初求めていたロシア側、西側(NATO)、両ブロック側からの安全保障 というのが崩れ、ロシア側からしか安全保障は提供されない→ロシアと合意したウクライナはNATOから敵国とみなされる可能性がある ということで、これはウクライナにとって、受け入れられないことになります。
そして、ジョンソン氏が付け加えたのが 「もしウクライナがロシアと和平交渉で合意すれば、ウクライナはうまく生き残れないだろう」とか「もしロシアとの和平交渉を拒否すれば、米英はウクライナが戦争に勝つために必要な、全ての兵器を提供する。そしてその”勝利”とは 1991年当時(ウクライナがソ連から独立した当時)の領土を取り戻すこと、つまりロシア軍をクリミアから追い出すことだ。」ということでした。
ロシアが昨年2月24日から「特別軍事作戦」を開始した際、ウクライナは すでにアメリカの兵器の対戦車砲のジャベリンや対空砲のスティンガーミサイルをたくさん持っていましたが、これはトランプ元米大統領もウクライナへの兵器提供を認めているのです。
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ビデオの一部だけのご紹介ですが、以上のような内容が語られています。
3月末の交渉では かなり合意間近のところまでいっていた というのはトルコのエルドアン大統領も語っていたと思います。
そして、ロシアは この交渉で合意されたように キエフ近郊、チェルニゴフ、スーミから実際に軍隊を撤退させました。
そしてその後に起こったことが 西側メディアによる捏造された「ブチャの虐殺」の大宣伝です。
この「ブチャの虐殺」の大宣伝では たしかに 英国営メディアのBBCが一番熱心に捏造ストーリーを報じていましたが、このように、ジョンソン当時英首相が 露宇の和平交渉を妨害する役回りを行ったことを考えると、妙に納得がいきます。
いわゆる「ブチャの虐殺」で、「ロシア軍に殺された」として路上に横たわっていた死体は 実際はネオナチと一体化していたウクライナの治安部隊による「親露派狩り」で殺害された一般市民でした。ブチャからロシア軍が撤退完了したのは昨年3/30ですが、ブチャの市長も3/31には そのことに一切言及せず、「市が解放された」と満面の笑顔だったのに 4/2になってから西側メディアでいきなり大ニュースになり、それが世界中をかけめぐりました。ですが、虐殺された という市民の写真を見ると、なぜかロシア軍から配給された食料を手に持ったままの倒れているもいたり、腕に親露を示す白い腕章が巻かれた遺体が何体もありました。
そして衛星写真が公開されたロシア軍・ウクライナ軍が交戦していた通りの交差点のところに横たわっている死体は ウクライナ軍が使用したフレッシェル弾というクラスター弾によって死亡した市民と、一部ロシア兵の遺体でした。
これらの嘘も 見る人が見れば、直ぐにバレてしまいましたが、未だに信じている(?)のが日本政府と岸田首相です。
合意に近いところまでいった昨年3月末の交渉から1年、2003年のイラク戦争に続いて、米英が主導になって犯した罪はとても大きい ということが あらためて明らかになったのではないでしょうか。
ジョンソン元英首相は「ロシアと合意すればウクライナの安全は保証できない」と言ってゼレンスキー大統領を脅しただけでなく、「もし停戦交渉を拒否すれば、今後必要な兵器を全て提供する。それでクリミア半島も取り返せる」とそそのかしました。ミンスク合意履行した場合や領土を割譲した場合に起きると思われる、ウクライナのネオナチからの報復を恐れていたゼレンスキー大統領を 意のままに操ったわけです。
そして、まさに米ネオコンが言っているように「最後のウクライナ人まで」戦わせる ことを決めたということです。