$One Art

今上映されているのは、周りで賛否両論あるから、とりあえず古いのを観ようかという事で、1974年に公開された方の映画を観てみた


デイジーの喋り方や仕草は、やっぱりサリー・ボウルズに似てたなあ
こちらの方が後に制作・公開されているから、デイジーはサリーに影響を受ける形で演じられているのかな?

ギャッツビ邸の隣に住むニックが語り手で、彼の目から見たギャッツビーが描かれている所が凄く好きだった
彼の眼を通すことで、よりギャッツビーや物語そのものの物悲しい雰囲気が伝わってくる
これがギャッツビー視点だったら全く異なる物語になるんだろうな

今公開されているものは、とても派手できらびやかな世界観ということで売り出しているから、本作もそんな感じかな、とイメージしていたら、かなり違っていた
もちろんギャッツビー邸やそこで開かれるパーティーはすごく豪華なんだけど、その豪華さが空虚な豪華さであるということの方に重点が置かれているような気がする
華やかなパーティーシーンと対比的されて、書斎の窓辺に佇み外の騒ぎを眺めるギャッツビー氏の苦悩や叶わぬ愛、そして背負った哀しみが浮かび上がってくる

ただ、少し気になったのは、この時代の映画(West Side Storyとか)にありがちだけど、主人公の二人の周りがモザイクがかったようにぼやけて、「二人の世界」を演出するやり方
言わんとする事は分かるんだけど、あまりに唐突で不自然に感じてしまう

あと、ギャッツビー氏を始めとする登場人物が皆異様に汗だくなところ
女の人達もみんな「暑い暑い」言ってたし
どうしたんだ。。
フィッツジェラルドを研究している教授によれば、この暑さはギャッツビーの愛や強い想いによるものらしいけれど、その解釈には無理があるようなないような

報われないギャッツビーの想いは、とても悲しかった
アメリカ人が望む全てを手にした男でも、その成功には何の意味もなかったということなのか
デイジーの双方向への心の揺れも、サリーと共通するところがあるような


フィッツジェラルドの原作も買ってあるから、近々読んでみよう