死について 三歳半の死生観 | こじょるのおこじょなえぶりでい

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三歳半の息子が、絵本を読んだからか

最近死についてよく口にします。

 

『かあかん、人は、いつか皆死ぬの?』

 

 

素朴な疑問というよりも、彼の目には底知れない悲しみや恐怖が見えていて

私もかなり小さい頃、そういえば死について考えてたなーと思い出しました

 

『そうね、命あるものは皆いつか死ぬね』

 

それを聞いた息子。

唇をかみしめて

眉をひそめて

力一杯泣きそうな顔をしながら

 

『かあかんも、いつか死ぬの…?』

 

そうか。

私は、いつかこの子をおいていかねばならんのだ。

 

『そうやね、かあかんもいつか死ぬねぇ…』

 

出来るだけ優しい声で、優しく撫でながら言うと、大きな目から綺麗な涙が。

ぽろぽろと泣いてくれる。

息子よ、どうしてこんなに無限の愛をくれるのかしら…

 

『かあかんが死んだら、一緒に死ぬ』

 

…熱烈!!(゚ロ゚)

え、うちの旦那にこんな熱烈なこと言われたことないぞ?(笑)

『出産でもし私が死んだら…』と言うと『しぶとい人やから死なへんやろ』と失笑されるだけ!(笑)

 

『かあかんが死んで見えなくなっても、側にいるよ。それに、また、必ず会えるよ』

 

『このかあかんに会えるの?』

 

『そう、この、かあかん』

 

『また会える?』

 

息子はまだ短い手で、ぎゅっと私の首に手を回して、涙を流しながらしがみついてくる。

 

『生まれ変わっても、何度でも、また命懸けて産むよ。必ず会えるからね』

 

それから、少し落ち着いて。

死ぬのが嫌だ、死ぬのが怖いコールはしばらく繰り返されましたが

小さいながら 私なんかよりもずっと深く遠くまっすぐに純粋に。

小さな子供は、生と死を見つめています。

なんて美しくて、深い愛なのだろうと驚きます。

大人が、たくさんの日常で忘れていること。

子供に毎回教えられています。

小さな体ですが、大きな愛をもってます。

 

 

廃人のようになって呼吸さえしたくなかった、生きることが心底嫌になったえぐい数ヶ月間の悪阻。

産前産後の激痛と不調の数々。

這った日々。

一年半続いた三時間以内の授乳。

からの、骨折。

二年半続いた睡眠不足。

気が狂いそうな妊娠出産授乳育児でしたが、命懸けで必死にくらいついていきました。

自分勝手な私が、こりずに、また小さな暴君に仕えたいと思い(笑)

2人目を授かったのは、深い愛を知ってしまったからかもしれません。

この子が私に愛を教えてくれました。

何度でも命懸けたるわ。

そんな強い気持ちにさせてくれました。

 

 

 

母は、こんな眼差しを私に注いでくれてたのか。

孫をみる時の、優しいやられっぱなしの(笑)母を見ると

自分がどう育ってきたのかも改めてよくわかります。

息子は息をするようにどんどん悪事を働きます。

私の母の顔面に、私の腹帯を巻いた上で、そこへ、ラップの芯を二本もってきて、

母の頭部を殴打しまくりがら『タイコ!!』と狂気な遊びをする腕白息子ですが…

本当は愛の深い坊やです(笑)