福岡県大刀洗は大分県日田より西に30キロくらいのところにある。
ここに太平洋戦争中に陸軍の飛行場があった関係で、軍事博物館が建設されている。
大刀洗平和記念館である。
九州は昔も今も軍用、民間を問わず飛行場が多い。
航空自衛隊の主力もかつての北海道より、沖縄、九州を含む南西方面に主力を移した感がある。
この大刀洗平和記念館には伝説の戦闘機震電の展示がある。
震電は大戦末期にB29の迎撃用の特化して開発された海軍の戦闘機である。
最大の特徴は普通は前にあるプロペラが、機体後部にあるということである。
異形の戦闘機である。
この機体に新開発の2000馬力級のエンジンを搭載しているのでプロペラが直に気流を後ろに排出でき、そして空いた前部には重武装が詰めるといった理想の体型である。
時速はカタログ値で740キロも出るそうである。
ゼロ戦で500キロ、B29も500キロ台なので、これに簡単に追いつける。
30ミリ機銃を全部に4丁積んでおり、この一連射でB29にを致命傷をえようというわけである。
30ミリはかなりの威力である。
現代のアメリカ空軍の地上攻撃機であるA10も同じく30ミリである。
ウクライナ戦争でアメリカ製の歩兵戦闘車の30ミリ機関砲で、ロシア軍の戦車が破壊されていく映像を見たことがある。
湾岸戦争やイラク戦争ではこの銃弾に劣化ウラン弾が使われていた。
この震電は三菱でも中島でも川西でもなく九州飛行機という会社が作り出したものである。
しかし大戦には間に合わず、試作機が3機制作されて、大戦終結の数日前に試験飛行が行われた。
実際に飛ぶには飛んだが、実践には間に合わなかった。
ここに進駐してきたアメリカ軍はこの機体に興味を持ち、本国に持ち去った。
ここに展示されているのは、映画ゴジラで使用された模型を引き取ったである。
見て気が付いたのはこの震電はかなり大きい。
ゼロ戦より一回り大きく見える。
たぶん日本が作った一番の高性能機だろう。
ここには震電のほかにゼロ戦も展示されていた。
これはかつての実機だろう。
この機体は翼の先が切ってまっすぐ切ってある昭和17年に登場した32型だろう。
ゼロ戦二回目のマイナーチェンジ機で速度の向上を目指した。
ただし航続距離は落ちた。
しかしもともとエンジンが非力だったので、アメリカ軍の新鋭のグラマンF6Fには劣勢となった。
ここで自分はおかしなことに気が付いた。
そもそも大刀洗は陸軍の飛行場の跡地である。
なぜそこに海軍機の展示があるのか。
場内の説明員に質問してみたが、答えはよくわからない。
震電はたぶんセットを買い取った。
ゼロ戦の残骸は多くあるので、外観を整備して展示したのだろう。
陸軍だから飛燕、鍾馗などの展示があればよかったと思った。