東京都議会でセクハラ野次が問題になっている。
事件から5日後にようやく当事者が名乗り出た。
いつもながら不思議なのは、大ごとになってから謝罪する稚拙さ。
こういう問題は後になればなるほど、大ごとになる。
謝罪は早ければ早いほど良い。
みんなわかっているはずなのに、当事者になると。。。
ところで、今回の事件で面白いのは、セクハラ野次だから問題視されている点。
野次自体は問題視されていないのである。
都議会に限らず、国会でも野次は飛んでいる。
野次自体が品の無いものだと思うのだが、これからもなくならないのだろう。
なぜならいつもしているから、昔からこうだからと正当化してしまう。
これは、考えるということ、成長するということを放棄しているに過ぎない。