2023年10月に入りました。
2019年乳がん告知をされ、ちょうど4年目になります。当時42歳。
告知後は
術前抗がん剤
右乳房全摘手術
分子標的薬1年
ホルモン治療2年
そして、今年6月からホルモン治療を中断し、
凍結胚2回分の胚移植をすることを、主治医より許可いただきました。
現在、私は46歳になっています。
ホルモンの薬は、タモキシフェンのみ。
身体から薬が抜けるのには3ヶ月を要するため、9月末までは胚移植は待つことに。
私は1年半前、このタモキシフェン服用中に関節リウマチも発症してしまい、
リウマチの薬も子供に影響が出るため、同大学病院内の『リウマチ内科母性外来』に紹介していただき、妊娠出産に影響がない薬に変更し様子を見てもらっています。ここからも胚移植の許可が9月中におりました。
生理については、乳がん発覚後の、抗がん剤開始1ヶ月で、一度完全に止まりました。
その後、1年間の分子標的薬期間の後半に2回だけ生理が戻ってきましたが、ホルモン療法開始で、またストップしました。
もうこれで完全に閉経するな、とさすがに思っていました。
この6月にホルモン剤をやめて、7、8月、9月下旬になってもやはり生理は来ず、一応9月中に不妊治療のクリニックに行って今後の予定を立ててもらうことになっていたのですが、
その9月の最終週に、なんとおよそ2年半ぶりに生理が戻ってきてくれました。
実は、その10日ほど前から左乳首の痛みが続いていて、だんだん乳房全体も痛みを感じ、何か感染したのかと思っていました。
すると今度は、5日間ほどひどく怠く、数日微熱が続きました。
もしやと思い、コロナの検査キットを買って調べましたがそれは陰性。
そして、9月25日、生理がきたのです。
しかも大量で、2年分が一気にきたのかと思うほどでした。
とりあえず、不妊治療クリニックへ予約を入れて生理5日目で診察をしていただきました。
このクリニックにくるのは、それこそ病気になる前ですから4年ぶりでした。
すごくドキドキしてしまいまして、内診台でも、これまでにない羞恥心がすごい自分に驚きました。
内診では筋腫が1.5cmぐらいのがあるけれど、問題はないでしょうとのことでした。
乳がんの治療経過は、自分でメモを書いて、
他にも直近の血液検査の結果や乳腺外科の経過観察記録のコピーなど提出したのですが、
やはり正規の診療情報提供書類を持ってくる様言われまして、
帰り道に大学病院の乳腺外科の受付に寄って、書類の依頼をしてきました。
乳腺の主治医にはクリニックに持って行くお手紙を書いて欲しいと、薬の中断の許可をもらった時にお願いしたのですが、
『まあ、大丈夫でしょ!』
と言って書いてもらえませんでした。
先生も忙しいですしね。。面倒なんだろうと思いました。
でも、やはり不妊クリニックの先生からしたら流石に必要ですよね。患者が勝手にがん治療をやめて来てしまう可能性もありますし。
命を助ける医療者(乳がんの主治医)と、命を生み出す医療者(不妊治療の医師)では、ちょっと感覚が違うのもなんとなくわかります。
それにしても、久しぶりの不妊治療カムバック(私は胚移植のみですが)は不思議な感覚でした。
病気を乗り越えて、あれほど子供がいなくても十分幸せだと思えるようになったはずの私でも、こうして具体的に動き出すと、
「ああ、これからお薬で次の生理を起こして、子宮内膜を整えて、移植後もしも着床したら、その子が生まれるのは何月ごろで、、もし双子にでもなったら、私たち親が早死にしても、一人ぼっちにならないからそれもいいな、、、1回目がだめで2回目でできたら、誕生日は私と近いな、、」
などなど、、
すでにこれだけの妄想が湧いてきています。
以前の自己注射で採卵、胚移植の流れよりもはるかに気楽で、ほぼ諦めた上のチャレンジでも、コレです。
不妊治療はかくも、精神を不安定にさせるものなのかと、あらためて感じました。。
私の通うクリニックは、不妊治療専門のクリニックで、とても心のケアも重視してくれているところです。
それでも、以前はうまくいかないときは何度も泣いてしまいました。
今回も、残念な結果になった時には、少なからず落胆することは想像できます。
だからこそ、やはり忙しく毎日の日課や仕事に専念し、治療の事を忘れていられるような、充実した日々を送ることが大切だとあらためて思っています。
これは、乳がんになったことで学ぶことができた、心のトレーニング、幸せの知恵だなとすごく思っています。
とりあえず、直近の状況のご報告でした。