CNN特番「ビンラディン襲撃作戦の裏側」 2 | shellvalleyのブログ

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12年かかったビンラディン発見。
いったい、どんな経緯があったのであろうか?

9.11後、ビンラディン氏の活動拠点は、当時タリバンが支配するアフガニスタン。
これに対し、米国は20名ほどの工作員を派遣し、
タリバンやビンラディンに敵対する北部同盟と一緒に追跡を開始する。
米軍が単独で動くと反米感情を煽ってしまうからだ。
工作員は、多額の工作資金を用い、敵の投降を誘い、同盟者を増やしていく。

この工作で追い詰められたビンラディン氏は、山岳地帯の洞窟に避難する。
洞窟と言っても、薄暗い洞穴ではない。
中にはプールやパンを焼く釜まである快適な場所だったようだ。
当時ビンラディン氏は、インタビューで
「洞窟の中にいると落ち着くし、この辺りのことは良く知っている」
と洞窟ライフを楽しんでいたようだ。

しかし、世界で最も有名な指名手配犯の安息の日々は、長くは続かない。
20名の米工作員が、数千人のアフガン軍兵士と共に、地上から捜索を開始。
さらに米軍は空爆を開始する。
2週間で山の形が変わってしまうほどの爆撃だった。
ビンラディンは、無線で自軍を励まし、交戦する。

当時の工作員が振り返る。
「あの作戦では、600~800名の米軍兵士が必要でした。
しかし米政府は派遣を行いませんでした。これが失敗の原因です。
アフガン軍の兵士だけでは頼りにならないのです。内通者いるでしょうから。」

ビンラディン氏は180名の配下とともに逃走した。
この時の失敗が一つの教訓となっている。
「最後は米軍の直接攻撃しかない」と。

そして、さらに深く潜伏したビンラディン氏は、この時期から、
ビデオ・メッセージを多用し始める。
彼にかかった懸賞金は20億円。しかし情報は集まらず、潜伏場所は分からない。
既に捕らえられたアルカイダのメンバーにも厳しい尋問が続けられる。

深く沈んだビンラディン氏。
「しかし影響力保持のために、ビデオメッセージを出しているなら
その連絡網があるはずだ。そしてそれは電子情報ではなく、
人間が介在しているのではないか?」と米情報機関は考える。

9.11の実行者になる予定で、米国に入国しようとしたアルカターニ。
しかし空港で身柄を拘束されてしまった。
彼が厳しい尋問の対象となった。
窓もない真っ暗な独房に入れられ、水責めなどの拷問も行われた。
この事実がウィキリークスにより暴露され、当時大統領に就任したばかりの
オバマ大統領が禁止する。
しかし、その尋問の中で一人の男の名前が浮上した。
「アル・クイッティ」だ。

しかし、当時分かったのは、あだ名だけ。本名は分からない。
その後の数年の地道な捜査でやっと辿り着く。
特にアルカイダのメンバー、モハメッドには183回にも及ぶ
水攻めの尋問が行われたが、彼は、「そんな連絡員など重要な人物ではない」と
言い張り続けた。
「別の情報源から、この連絡係の男は実はモハメッドの側近だということが
分かったのです。自分の側近を小物だという・・・これはおかしい。
実は重要人物なのではないか?」

ここから、連絡係の男に対する本格的な調査が始まる。
携帯電話の盗聴、電子メールの分析、普段使っている車の確認。
ありとあらゆる情報が集めら、常時監視下に置かれた。

そして2010年8月。
連絡員は、ビンラディン氏の邸宅に向かう。
「パキスタン軍の施設の目と鼻の先の場所だったので、
最初は、ここは違う、と思いました」

ビンラディンの潜伏先と思われる邸宅の発見。

ここから特殊部隊の実戦想定訓練が始まる。