ワシントンポスト紙 2011/04/22掲載
「ミスラタの医師は我が子を亡くした。
しかし他の人たちを助けるために働き続けている」
アリ・アブ・ファナス医師は、悲しみに満ち溢れたヒクマ病院を歩いていく。
けが人が担架で救急車でそして自家用車で次々と運び込まれてくる。
51歳の麻酔医は、自らの悲劇を振り払うかのように働き続ける。
ミスラタの町では、カダフィ軍による市民への虐殺が続いている。
ファナス医師は、我が子を失ったが、
それはここ2ヶ月で殺害された1000名以上の人々のうちのわずか4人に過ぎない。
3月21日の母の日(訳者注:中東の多くの国は春分に母の日を祝う)、
ファナス医師の妻は、妻の実家に子供達を車で連れて行ってくれるようにファナス医師に頼んだ。
医師は、4人の子供(サレム15歳、ハーワ11歳、ファティマ7歳、アダム3歳)を
車の後部座席に、そして妻を助手席に乗せて走り出した。
しかし途中で、まさに戦場の真っ只中にいることに気づくこととなる。
通りには銃弾が飛び交っていた。
「伏せろ!」ファナス医師は妻と子供達に叫んだ。
その瞬間、大きな爆発に襲われ、気がつくと顔半分が誰かの血で真っ赤になっていた。
後部座席を振り返ると、切り刻まれた子供達の遺体が目に入った。
何とか2人が判別できるほどの状態だった。
「4人が入り混じっていました。」とファナス医師は言う。
妻は子供達の名前を叫び続けた。
医師は、後部座席を見ないように妻に伝えたとき、
カダフィ軍の兵士が、医師と妻を車から引きずり出した。
妻は、相変わらず、子供の名前を叫び続ける。
「黙れ!」兵士の一人が叫んだ。
ファナス医師はその兵士に謝り続けた。
「このままでは、カダフィ軍に妻は連れて行かれ、酷い目にあうと思いました。」
数時間、公衆便所に拘留されたあと、夫婦は解放された。
ファナス医師は直ぐに子供達を病院に連れて行こうとした。
「あの道端に子供達を放っておくことに耐えられませんでした。
たとえ、既に死んでいるとは分かっていても。」
1週間後、ファナス医師は職場に復帰した。
「カダフィ大佐は私の子供たちだけでなく、多くの他の子供たちも殺しています。」
救急車の到着を待ちながら、ファナス医師は語った。
「医師として働く以外、私に何が出来るのでしょうか?
もし私が1ヶ月、1週間、1年間、家に閉じこもっていても、あの子達は帰ってきません。」
ファナス医師の心はまだ壊れやすい状態だ。
家族のことを話すとき、その目の裏に映るのは、子供たちとの思い出だ。
父の帰宅を心待ちにして、ハグしてもらうために駆け寄ってくるハーワ。
長男のサレムは、父のような医者になりたいと思っていた。
ファナス夫妻は自宅には戻らないことに決めた。
子供たちの服や玩具を見るのが辛いからだ。
「私の子供たちは逝ってしまいました。
しかし目を閉じれば、いつでも子供たちに会うことができます。」
医師の頬に涙がつたう。
しかし、例えカダフィが失脚し、リビアに自由が訪れても、
ファナス医師の子供たちは、その喜びを見ることができない。
子供のうち一人の頭には銃弾で撃たれており、
一人は砲弾の破片が突き刺さっていた。
ファナス医師は、携帯電話を取り出し、子供たちの写真を見せてくれた。
ファティマとハーワの頬には、カダフィ大佐の革命以前、王制時代の
国旗が描かれている。
ファナス医師のポケットに砲弾の破片が大切にしまってある。
子供たちの血で真っ赤に染まった白い車は、義理の父母の家にそのまま置いてある。
いつかカダフィの犯罪を告発するための証拠となるからだ。
「誰かにカダフィとその家族を殺して欲しい。」ファナス医師はいう。
「いつかこの戦争が終わったときに、ここで何が起こったのか。私が教えてあげたい。」
※子供たちの写真と英語原文はこちらから。
http://j.mp/epwMX0
了