甘えさせるのと甘えるのと | shell studio

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甘やかしてはいけない!
と思いつつ、でも育児書などを読むと
「思いっきり抱っこしてあげて、甘えさせてあげましょう」
なんて書いてあることもありますよね。

昔、学生の頃「甘えの構造」という本を読んで、
ちょっと面白かったことを思い出します。
いわく、「甘え」とは割と日本人独特の感性で、
「これくらいならいいだろう」とお互いに許してしまうような関係らしいのですが…
なにしろ20年も前に読んだ(眺めた?)程度なのでうろ覚えですが。

「甘える」という定義もなかなかに難しいものだと思います。
どうも私は末っ子には大変に「甘い」らしく、
双方、恋人のようにメロメロです。

では今までの子どもと接し方が違うのか?
というと私自身はあまり変わらないような気がするんですけどねえ。

何をしても小さいのはかわいい、という思いはありますが。

上のお兄さん方には年齢に応じた「役割」を要求していますので、
それが許されている分、やっぱり末っ子は
「えーっお皿拭きしなくていいのーッ? ずるーい」
というようなことにはなっています。

いやいや、君達も4歳の頃は仕事していなかったでしょ…
という部分は彼らはまったく見えていません。

中学生になると、授業の後、部活、塾とこなして帰宅すると
もうすでに8時すぎ。「ただいま」よりも「腹減った」です。

へろへろなのは見て分かるので、ついついご飯もよそってやり、
おかずも温めてやり、箸も並べてやって…
「何か飲む?」だって。

このままではいけない!!
食卓に黙ってつくような男にしてはいけない!!

と思いつつ、ついついあれこれしてしまう。

これも小学生から見たらブーイングです。
「えー僕ら自分のご飯は自分でよそって、配膳して牛乳だって自分で用意するよー」
そうですよねえ。

本人にやらせねばならないのです。
私がぐっと我慢しなければならない。

あれこれしてやっているのは「甘やかして」いる訳です。
相手が甘えたい、と言ってきた時に初めて対応してやればいいんです。

この辺の我慢ができないところが「甘い」。

本来は、お皿洗いとお皿拭きは子どもの仕事なんですが、
ダラダラして片付かない時は、私が手を出してしまう。
だってその方が早いしきれいになるのだもの。

でもいけませんね、人の仕事を奪ってはいけない。
家庭でも、役割分担して仕事をしないと、居場所がなくなってしまうものです。
これは「やってしまいたい!!」という私の「甘え」ですね。

子どもたちにはできるだけ「自分のことは自分で」できる大人になって欲しいし、
安易に何でも頼むようなお殿様にはなって欲しくない。
でないと、未来のお嫁さんがイヤですもんね。

自分の甘えを再確認して、また子育て・自分育てをしようと思っています。